クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2012/3/17 ザールブリュッケン

 エールフランスの成田発パリ便は遅れもなく出発し、翌朝午前4時半にパリに到着。空港で少し時間を潰した後、午前6時にパリ市内へ。そのままパリ東駅に向かい、午前7時6分発のフランクフルト行き特急電車(ICE)に乗り継いだ。
 午前9時、あっという間にザールブリュッケンに到着。駅から徒歩5分のホテルに行ってみたら、かなり早い時間であるにもかかわらずチェックインが出来てしまった。なんとまあ、ここまで完璧なくらい順調である。天気も穏やかで、気温(体感)も15度くらいと過ごしやすい。
 
 ザールブリュッケン。フランスとの国境にあるドイツの都市で、ザール州の州都。だが、いわゆる観光としてはそれほど有名な街ではない。少なくとも、普通の日本人観光客がここに来ることなどほとんどないと思われる。旅行ガイドブックにもあまり紹介されていないし。海外個人旅行者のバイブル「地球の歩き方」には郊外にある炭鉱工場跡(世界遺産登録)の写真が掲載されているが、市中心部の地図は省略。これだけじゃ街歩きなんか出来ないじゃんか。
 
 昔ならこれでお手上げ状態だが、現代にはインターネットという強い味方がある。
 ちょっと検索すれば、市内の主要な観光ポイントを紹介する日本語サイトは見つかるし、「ちょっと足を延ばしてザールブリュッケンに行って来ました!」なんていう個人ブログも見つかる。
 それらのサイトで写真を見たり、グーグルで地図を見渡しているうちに、一度も訪れたことがないにもかかわらず、ザールブリュッケンという街の概要がどんどんと頭の中に入っていく。いやはや、本当に便利な時代である。
 
 こうして、初訪問なのにみょーに見覚えのあるザールブリュッケン市の観光をスタート。最初に訪れたのは、当然「ザールランド州立劇場」(笑)。
 そりゃやっぱそうでしょうよ。だって、そのためにここに来たのだからね。いくら地図を頭の中に叩きこんでも、上演に先立って事前に下見をし、場所を確認しておかないと。開演直前に道に迷ったりしたら大変だしね。
 
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 この劇場についても、ネットで調べた。(何でも調べられるインターネット、万歳!)
 Wikiによると、豊富な炭鉱資源を持つこの地の領有権について歴史的にフランスとドイツで争っていたが、ヒトラーの時代に住民投票によって住民がドイツを選択し、ドイツによる領有が決まった。その決定にヒトラーが感謝の意を表して「総統からの贈り物」として建設されたんだって。へー。だから建設当時は客席内に立派な「総統席」があったとのこと。
 そんな劇場だから、当然第二次世界大戦では爆撃の的となる。建物は破壊されたが、戦後に外観は概ね以前の面影を残して再建された。もちろん客席内の総統席は取り外された。現在の客席数は約800。
 
 こういう知識を持った上で改めて建物を見渡すと、国家に翻弄された街の歴史というものがひしひしと感じられた。
 
 その後、この街の観光ポイントであるザンクト・ヨハンナー・マルクト界隈(旧市街の中心)、街のシンボル的存在であるルートヴィヒ教会、シュロスと呼ばれているお城(ただし中に入ってみたら、すっかり改築されて多目的会館みたいだった)、風情のある市庁舎などを歩き回った。
 
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 土曜日の朝ということで、広場では「朝市マーケット」が開かれていて、市民の日常生活を垣間見ることが出来た。帰属を巡ってフランスとの間で揺れていた期間が長いことから、市民のほとんどがフランス語を話せるらしいが、街角から聞こえる話し声はすべてドイツ語だった。
 
 観光で歩き疲れたら、テラスやパラソルのあるカフェで一休み。日本のドイツ料理店で注文すると一杯1,300円もするドイツビールが、当たり前だけど、ここドイツではたったの400円!!イヤッホー!うまいし安いので、調子に乗って「Einmal bitte!(もう一杯ください)」
 昼間からほろ酔いで「いや~、気分がええのう!」などとにやけながら、ふらふらと歩き回る観光のなんと楽しいことよ!(笑)
 
 とは言っても、午後5時にはオペラが控えているため、昼食を取り、午後2時にはホテルに戻ってお昼寝。軽い仮眠のはずが、長旅疲れに加えて程よいアルコールが効いて、仮眠どころか爆睡してしまい、目覚まし時計に助けられたものの、起きるのが大変だった。で、起きたはいいが頭痛がした。まったくもう、我ながらアホかと思った。