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2026/9/11 日本フィル

2026年9月11日  日本フィルハーモニー交響楽団   サントリーホール
指揮  カーチュン・ウォン
ショスタコーヴィチ  交響曲第7番 レニングラード

 

当初に発表された予定指揮者は、このオケの桂冠指揮者アレクサンドル・ラザレフだった。
そのラザレフの来日中止理由、いちおう日本フィルの発表によれば「ご家族に健康上の懸念が生じたため」というが・・・本当かねぇ?
(公演の8か月も前に、その理由で降板しますかねぇ・・)

ロシアによるウクライナ侵攻があり、一時、世界的にロシア人の締め出しが行われた。そうした中でも日本フィルは、国家と個人を切り分け、何度か招聘の機会を伺ったが、いずれも叶わなかった。その延長上で「今回もやっぱり」というのが、何となく筋として理解しやすい。そう感じているのは、きっと私だけではないはず。
(大きな声では言えないが、何にしても「健康上の理由」という言い訳が世の中で一番通用しやすい。これ、紛れもない事実ね)

真実はさておき、いずれにしても残念である。別にゲルギエフが来日出来なくても悲しくも何ともないが、ラザレフは悲しい。私は純粋にラザレフの指揮による演奏が好きだったからだ。

幸いなことに、今回は日本フィルの首席指揮者がピンチヒッターを務めてくれた。プログラムを変更せず、同じ曲を振ってくれた。
私自身は、おそらく誰が指揮者であろうと、このコンサートに行ったであろう。この作品が好きだからだ。
そうしたところ、首席指揮者が振ってくれることになった。それならそれで、十分だ。


そのカーチュンのタコ7。印象としては、事前の想像と違い、若干意表を突かれた感じである。

もっと熱情を帯びた、激しい演奏になるかと思った。作品が書かれた戦時下の情勢描写を強調して、混沌、狂躁、凶暴を創出するかと思った。
実際は、非常に統制が取れた沈着冷静な演奏だった。これは実に興味深い。

例えば、カーチュンの得意なマーラーであれば、作品の深層に自ら率先してのめり込む主観的な演奏を繰り広げることが多い。ところが、今回のショスタコはどこか客観的で、俯瞰的アプローチに見えた。

あくまでも推測だが、もしかしたらショスタコーヴィチ特有の内在二面性に注意を払った結果なのかもしれない。
配布されたプログラムの中の解説で、山本明尚氏が「表向きの明快さの裏に別の声を潜ませている」と言及していたが、まさにカーチュンはそうした部分を慎重に探っていたのではあるまいか。「こっちかもしれないし、あるいはこっちかもしれない」みたいな。何となくだが。

一方で、そうすることで指揮者が音楽を語るというより、「作品が自ずと語りだす」という成果が導き出された。そこまでカーチュンが狙っていたとしたら、これはもう「さすが」と唸るしかない。


普段、「優劣を付けるかのような演奏の単純比較に意味はない」と言っている自分である。
別にその持論を撤回するわけではないが、「もし、ラザレフの演奏と並べて比較したら、その対比がめちゃくちゃ面白かっただろうな」と思った。

改めて、今、ロシアの中枢に位置する指揮者によるコテコテのショスタコーヴィチを聴いてみたい衝動に駆られる。
まだまだタイミング的には難しいと理解しつつ。
来月、ゲルギエフとマリインスキー劇場管弦楽団が、上海にてショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会をやるというニュースを目にした時、心の中で「ううぅ・・聴きてぇ~、行きてぇ~・・」と思ってしまったが・・・いかんいかん。ダメダメ。