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2025/10/30 内田光子ピアノ・リサイタル

2025年10月30日   内田光子 ピアノ・リサイタル   サントリーホール
ベートーヴェン   ピアノ・ソナタ第30番、第31番、第32番

 

たとえ日本で日本人両親から生まれたとしても、その後に海外に転出し、その地で国籍を得て永住しているのなら、その人の身分や扱いは外国人とすべきだと思う。実際、日本は二重国籍を認めていないし、本人も国籍を得た国から発給されたパスポートで外国人扱いで日本に入国する。それは民族的な部分とは別問題だ。

で、もし外国人だというのなら、名前の表記はカタカナが通例ではないか。
例えば、ノーベル文学賞を受賞した日本出身の作家カズオ・イシグロ氏は、イギリス人扱いでカタカナ表記である。
ならば、イギリス国籍の内田光子氏も同様にミツコ・ウチダと表記すべきだし、そのように呼ぶべきと思うが、誰もそのように言わない。なぜ?
それから、もしサイモン・ラトルのことを正式名称でサー・サイモン・ラトルと呼ぶのなら、内田光子氏だって「デイム」の称号を付けるべきだ。なぜ付けない? なぜ?


・・・えぇーー、難癖をつけてゴメン。みんな「当たり前」と思っているので、「いや、必ずしも当たり前じゃないんじゃないの?」と、ちょっと提起してみただけだ。
本人だって日本では「内田光子」で良いと思っているだろうし、ぶっちゃけ「デイム・ミツコ・ウチダ」でチケットを売るのは、販売戦略上如何なものか、ということになろう。いいじゃないか、堅苦しいことを言うなということ。そういう私だって何を隠そう、カタカナ表記にする度胸なんか全然無いのである。誠にスマン。


さて、その内田光子さん(笑)のリサイタル。
定期的に日本にやってきてリサイタルやコンチェルトを演奏しているが、今回のプログラムはピアノ作品の頂点とも言えるベートーヴェンの最後の3大ソナタだ。
まさに内田さん「時期到来」「満を持して」ということかと思ったら、配布されたプログラムによると、2004年と2006年にも3つのソナタを演奏したとのこと。そうでしたか。私は聴き逃した。

まあでも、以前に弾いたかどうかは問題ではない。年齢的にも巨匠の域に差し掛かり、円熟期の今というタイミングで聴く3大ソナタである。


よく「内田光子の世界」と評される。張り詰めた空間の中で繰り広げられる孤高の演奏。
昔の彼女は、あたかも取り憑かれたかのような鬼気迫る没入スタイルがすごかった。
極度に集中してピアノに対峙する姿勢は昔も今も変わらないが、今の彼女には、無我の境地で作品に真っ直ぐに向き合っているような自然さが感じられる。あたかも、作品、あるいは作曲家との対話を楽しんでいるかのよう。
もしかしたら、往年に比べ技術的な部分で後退したかもしれない。(そのように感じた部分は正直あった。)
だが、それを補うかのように思索は一段と深まり、芸術性、格調が高まっている。今回の演奏は、「内田光子の最終到達地点がまさにここにあった」と述べていいのかもしれない。