2009年10月3日 新国立劇場
ヴェルディ オテロ
指揮 リッカルド・フリッツァ
演出 マリオ・マリトーネ
ステファン・グールド(オテロ)、タマール・イヴェーリ(デズデモナ)、ルチオ・ガーロ(イヤーゴ)、妻屋秀和(ロドヴィーコ)、ブラゴイ・ナコスキ(カッシオ) 他
のっけから自分の話で申し訳ないが、旅行から帰ってきてから先週の一週間、仕事がホントきつかった。「えいっ、もういいや!」と放り投げるかのようにして旅立ってしまったこともあって、そのツケが回ってきてしまい、連日残業(水曜日の読響の日除く)だった。実をいうと、今日はびわ湖ホールでのルルを見に行く予定でチケットを買っていたのだが、体が休みを要求していて、行くのをやめてしまったくらいだ。
そんな中で、昨日の新国立のオテロには心底癒された。
ヴェルディの最高傑作とも言われるこの作品のパワーが、大好きなビールが胃に染み込んだかのような清涼感(こんな表現でいいのだろうか?(笑))を与えてくれた。もちろん公演自体も素晴らしかった。
指揮者と主役の3人は賞賛に値する。
ドイツ系ヘルデンテノールのグールドの歌い回しや、やや棒立ち気味の演技に対して難癖付けたい人もいるかもしれないが、十分にこなしたと思う。イヴェーリとガーロには、私は100点をあげたい。ヴェルディの音楽の魅力を十分に引き出してくれたフリッツァにも大拍手を。
演出も分かり易い。
演出家自身がコンセプトについてプログラムや新国立の情報誌などで語っていたが、語らなくても舞台を見れば一目瞭然。イヤーゴの策略の張り巡らしを、ヴェネチアのくねくねした小路地に置き換えて表現したアイデアは秀逸だと思う。「デズデモナが実は二面性(聖母と娼婦)を持っている」という解釈は、私は別の公演でも見たことがあり、新しくはなかったが、それをオテロの妄想に当てはめたのも面白かった。
今回の旅行で見てきたいくつかの舞台もそうだったが、欧州の最先端演出は、あまりにも尖りすぎて「???」という意味不明の物も多い。独創的な発想には敬意を表するが、観客が理解できてこそ作品は生きる。
その意味で、ここ数年の新国立のプロダクション(ノヴォラツスキーさんあたりからの)は、ちょうど中間くらいでなかなか良いと個人的に思っている。(日本は、台本通りの舞台を望む保守的な考えの人がまだまだ多いようだが、これくらいの程良い知的好奇心をくすぐられるくらいがいいと思うんだけどな。)
ということで、若杉さんの芸術監督としての集大成となるはずだったシーズンが開幕した。
一昨年、彼が就任一年目に並べたラインナップを見て、私は憤然とした。フィガロ、カルメン、ボエーム、椿姫、アイーダ・・・。歴史を築き上げている過程で、どうしてまた‘振り出し’に戻らなければならないのか?なぜ初心者に媚びを売るのか?「アディオス!新国立」と思ったものだ。
氏はこう釈明した。「3年間のトータルで見て欲しい。3シーズンを経て、私がやりたかった事がはっきりする。」
今シーズン、これからヴォツェック、リング後半、影のない女などの意欲的な作品が並ぶ。先シーズンのツィンマーマンの「軍人たち」や「ムツェンスク郡マクベス夫人」も含めて、なるほどそういうことだったのか、と納得する。
若杉さん、まずは幸先の良いスタートを切りましたよ!
なんて私が報告するまでもなく、とっくに天国でにんまりと頷いていることでしょう。