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DVD スカラ座 オテロ

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 先日、新国立のオテロを聴いて、改めてこの作品の偉大さに想いを馳せ、翌日の日曜日に‘おさらい’で自宅でDVDを再鑑賞した。ミラノ・スカラ座が2001年12月に上演した物だ。

 この時、私もミラノに馳せ参じた。
 それまでC・クライバーの持ち演目だったのを、マエストロ・ムーティが満を持して新演出にして採りあげたのだ。そりゃ行かねばなるまい。

 が、その時のことについてはまたの機会にということで。今日はあくまでもDVD鑑賞記とさせていただきます。


 第一幕冒頭の嵐の場面。
 先日の新国立の合唱も健闘していたが、このスカラには遠く及ばない。(比較してはいけないが。)その迫力、まさに心臓バクバクである。
 合唱団の演技も見事。手を合わせて祈る人、天を仰ぐ人、じっと正面を見据える人・・・それぞれが異なったポーズを取り、これらが全て迫真となっている。


 主役の歌手達について。

 まずドミンゴ
 オテロはなぜ、いとも簡単にイヤーゴの策略に引っかかり、デズデモナを「不貞」と決めつけてしまうのだろう?
 それは自分がムーア人という有色人種で、このことにコンプレックスがあり、白人女性との恋愛関係の持続に自信がなかったからではないか。

 ここで、このスカラ座の主役の二人、ドミンゴ演じるオテロフリットリ演じるデズデモナに当てはめてみよう。
 白髪の交じったドミンゴと、若さと美しさを兼ね備えたフリットリ。夫婦というよりまるで親子のようだ。
 容姿だけではない。ドミンゴの歌唱がヒロイックではなく、非常に叙情的で、特に第一幕最後のデズデモナとの二重唱は慈愛に満ちている。

 つまり、オテロのコンプレックスが、ここでは「人種」から「年齢」に置き換えているような気がするのだ。(以上についてはDVDの解説にも似たような事が書いてあるが、同感、と言うより、解説を読む前から既に感じ取ったことなので、あえて書かせてもらいます。)

 ここで私は、「ノルマ」において、マリア・カラスの伝説から離れるために、‘母や妻としての苦悩’という新しいアプローチを試みて成功したしたグルベローヴァを思い出す。
 ドミンゴもまた、このスカラ座の新オテロで、かつての自分や、更にそれ以前に一世を風靡した大歌手マリオ・デル・モナコとは異なったアプローチを試み、見事に成功したのだ。

 次にイヤーゴを演じるレオ・ヌッチ。
 彼は歌手なのか?それとも役者なのか?
 恐ろしいほどの凄みが感じられる演技と表情。イヤーゴに悪魔が宿っているかのごとく、まさにヌッチには何かが取り憑いている。彼のイヤーゴを聴く、というより「見る」だけでも、このDVDは必見だ。

 デズデモナのフリットリ。
 沢山の賞賛のコメントを書きたいが、彼女については9月の一連の来日公演で最大級の賛辞を送った。ここでは繰り返しになるので、ありきたりだが「素晴らしい」の一言とさせていただく。


 そして指揮者のムーティ
オテロヴェルディの最高傑作の一つとして誉れ高いのに、ムーティはこの公演まで一度もオテロスカラ座で採りあげなかった。なぜだろう?
 ウイーンやミュンヘン音楽監督になったらワーグナーの「指環」をやりたいと思うように、スカラ座音楽監督に君臨したらすぐにでもオテロはやりたいと思うのだが。

 ここでもやっぱり私はグルベローヴァのノルマを思い出す。機が熟するのをひたすら待ち、最高潮の時を感じて、満を持して採りあげた至極の作品。故に、ムーティオテロからは円熟の境地が感じられる。


 最後に。
 マエストロは第2幕最後の方で、凄いことをやっている。
 来日公演を体験した方、このDVDをご覧になった方、気がついたであろうか。

 ヤーゴに「例のハンカチをカッシオ宅で見ました。」と唆され、錯乱するオテロ。「毒蛇が締め付ける。血だ!血だ!血だ! sangue! sangue! sangue!」

 ここの場面、通常はオーケストラが短く「ジャン!」と強奏されるだけだが、何とマエストロは最大級のボルテージで「ジャーーーーーーーーーーン!!」と伸ばしているのだ。

これ、失神ものの痺れです!(笑)
DVDを持っている人は是非、確認してみてください!