パリ国立オペラ座が、空席となっていた音楽監督のポストについて、セミョン・ビシュコフが就任すると正式発表した。任期は2028年8月からスタートで、まずは先行して座付オーケストラの常任指揮者となり、活動を開始していくという。
「なるほどそうか、安定感を取ったな」というのが私の感想だ。
意外な感じはない。かといって無難という印象でもない。適任ではないかという気がする。
前任のG・ドゥダメルが任期を全うせず、わずか2年で「や~めた」してしまったドタバタ人事。コンサートを中心とするオーケストラと違い、オペラを取り仕切っていくのは困難かつ厄介な仕事。音楽監督といっても、その上に総裁やインテンダントがいて、なおかつ演出家とも上手くやっていかなければならない。1つのプロダクションにかかる時間も膨大。
素人が傍から見ても、「複雑で大変そうだよな」と思う。角が立つキャラクター、プライドが強烈な唯我独尊指揮者は難しいんじゃないか。
オープンで、バランスを取ることが出来、なおかつ泰然として動じない実績十分のベテラン。
こういう指揮者こそが適任で、まさにビシュコフがそういう人物なのではないか。
オペラ座は前回の失敗を教訓にし、音楽的手腕やビッグネームにとらわれず、人柄も含め慎重に時間をかけて人選していたに違いない。そこに、タイミング良く「ビシュコフ、チェコ・フィル退任」のグッド(?)ニュース。チャンスが巡って来た。パリはそれを逃さなかった。
いや、あくまでも憶測だけどね。
かつてパリ管の音楽監督だったという経歴も、プラスに働いたのではないか。
この場合のプラスというのは、もちろんお互いにとって。
フランスのお国柄、パリの音楽事情を知っている強み。フランス語、話せるんじゃないの? 奥さんはフランス人だし。
(最近の若いクラシックファンは、「ラベック姉妹」って知っているのかな?)
コンサート系のイメージが強いビシュコフだが、はたしてオペラはどうなのだろう。
これまでの実績を見ると、各地でオペラを振っている。決して未知数ではない。私自身これまでに、フィレンツェで「ボリス・ゴドゥノフ」、ウィーンで「ローエングリン」、ロンドンで「影のない女」、そして、東京で「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞している。
そう、この東京のトリスタン公演がパリ・オペラ座だった。2008年7月、同劇場の初来日引っ越し公演。観た方もいらっしゃるだろう。ビシュコフとパリ・オペラ座は、意外な場所で繋がっていたわけだ。
さて、ビシュコフというと、日本では紹介される経歴の中に必ず「ロシア出身」というのが入る。旧レニングラード生まれだから、そういう意味でロシア人というのは正しい。
だが、彼は20代で政治亡命し、ロシア(旧ソ連)を離れている。もう半世紀近く前のことだ。そして現在の国籍はアメリカ。要するに、彼はとっくにロシアを捨てているのである。
にもかかわらず、今なおいちいち「ロシア出身」と言われ続けられるのは、本人としていかばかりであろうか。ましてや、「ロシアの指揮者」にカテゴライズされることなど、まったく望んでいないかもしれないね。
もっとも、「アメリカ人」というイメージでもないけどな(笑)。
私がビシュコフの名を初めて知ったのは、随分と昔、まだ存命・現役だったヘルベルト・フォン・カラヤンの爆弾発言だった。
巨匠が自ら自身の後継者として「ビシュコフはそのうちの一人」と語ったのである。
クラシックの楽壇に君臨していた帝王が後継に指名。ニュースは瞬く間に世界に知れ渡った。
旧ソ連やヨーロッパではそれなりに活躍していたかもしれないが、決して世界的な知名度があったわけではない若手指揮者。まさしくカラヤンの隠し玉、秘蔵っ子。
「ビシュコフ、WHO??」
その後、その隠し玉がベルリン・フィルを指揮し、録音したショスタコーヴィチの交響曲第5番、それから第11番のCDを聴いて、私は腰を抜かした。凄まじい演奏。
「こ・・これが、カラヤンが後継に指名したあのビシュコフか!?」
あの時の衝撃は今でも忘れないが、冷静に振り返り、分析すると、もしかしたらベルリン・フィルの演奏水準にびっくりした可能性も高いのであるが・・・。まあ、それはいい。
残念ながらカラヤンの予告どおりにはならなかったが、地道に着実に実績とキャリアを積み上げ、ついに名門パリ・オペラ座のシェフにまで上り詰めたビシュコフ。これはパリの人だけでなく、世界のオペラファンにとって、きっと朗報ではなかろうか。私はそう思う。