クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

フランクフルトのホテルにて

2026年一発目のヨーロッパ旅行をこれからスタートさせる。
既に宣言したとおり、今年は海外遠征を1回減らして年3回に絞ろうと思っている。ということはつまり、早くも1回目をここで繰り出してしまうわけであるな。

昨日(1月26日)に日本を出発し、同日夕方にフランクフルトに到着した。只今、こっちの時間で翌日の午前3時。といっても、日本時間では午前11時だから、体内時計がきちんと作動し、どうしても早く目覚めてしまうわけ。最初の数日は時差ボケに悩まされるのが毎度のパターン。

本日は、朝食を取った後、電車でケルンに向かう。

今回は・・・“今回も”か・・ひたすらコンサートやオペラを目指して目的地に行き、鑑賞したらまた次へ移動、という「クラヲタ小僧の突貫旅行」だ。
予定では、7日間で5か国。
(ハイどうぞ、呆れていただいて結構です)
「何か面白そうな公演はないか」と探し、観たい聴きたい公演を見つけたら、そこを単純に移動という線で結んでいるだけだから、こうなる。それと、EU内なら移動はそんなに難しくないという面もある。

日によっては、ゆっくり観光する時間さえないということもあるが、音楽鑑賞が旅行の目的なのだから、仕方ない。ある意味、オレっちにとって音楽を聴くことが観光みたいなもんでさ。
それに、サイト・シーイングなら先月にニュージーランドで十分楽しんだ。だから、今回は簡単に割り切れたわけだ。

ただし、こうした過密日程は交通機関の正常機能が大前提。これが狂うと途端にヤバくなるのが大きなリスク。そこはもう神様に祈るしかない。神様、お願いします。

具体的にどこで何を観る予定なのかについては、おいおい明かしていきますということで。

ではでは。

2026/1/24 N響 C定期

2026年1月24日  NHK交響楽団   NHKホール
指揮  トゥガン・ソヒエフ
上野通明(チェロ)
ドビュッシー  牧神の午後への前奏曲
デュティユー  チェロ協奏曲 遥かなる遠い国へ
リムスキー・コルサコフ  組曲 サルタン皇帝の物語
ストラヴィンスキー  組曲 火の鳥

 

仮に指揮者をタイプ分けするとしよう。
色々な観点があると思うが、手っ取り早いやり方の一つとして、同郷など特定の国や作曲家に強みを発揮する人(※)と、そうした特定のジャンルにこだわりを見せないオールラウンダー、みたいな分け方があるだろう。
(※あくまでも「強みを発揮する」ということであって、決して「それだけ」という意味ではない)

例えば、巨匠ムーティはイタリア・オペラの絶対的存在であり、とりわけヴェルディに対する忠誠において比類がない。ティーレマンであれば、ドイツ物、特にワーグナー演奏において他の追従を許さない。オスモ・ヴァンスカやオッコ・カムによるシベリウスは、彼らの専売特許だ。

そして、概してロシア人指揮者は、ロシア物作品がレパートリーの中心であり、指揮者の代名詞である。

同郷作曲家に寄せる多大な共感は、必ずあるだろう。教育や師事のシステムによって脈々と受け継がれている流儀もある。我々聴き手やマネージメント側も、「彼らに任せておけば安心」と盲目的に信頼している部分も大きい。


さて、そこでトゥガン・ソヒエフである。彼はどうであろうか。果たしてソヒエフは、ロシア物に傾倒し、得意とし、そのことを自負し、上記の分類で「特定の国や作曲家に強みを発揮するタイプ」にカテゴライズされるのか。

ロシア物が重要なレパートリーであることは、まず間違いない。そこは本人も否定しないと思う。実際、N響でもたくさんの作品を取り上げ、演奏している。

だが、スペシャリストであるかと問われれば、いかがであろう、そうとは言えないのではないか。
この日の演奏を聴いて、あるいは先日のマーラーを聴いて、あるいはこれまでの彼の指揮による数々の演奏を聴いて、常に感心するのは、どんなプログラムであっても、どの作品であっても、差異を付けず優劣をつけず、すべてを完全に手中に収め、独自の切り口で音楽を完成してしまう手腕の確かさであった。

この日の演奏プログラムは、その意味で分かりやすかった。
1曲目ドビュッシー、2曲目デュティユー、3曲目リムスキー・コルサコフ、4曲目ストラヴィンスキー
3曲目と4曲目がロシア作品だが、それらの演奏が前半よりも優れていたとか、後半に比重が置かれていたとか、決してそんなことはなかった。曲の配置、長さにかかわらず、スコアの見つめ方、接近方法はどれも対等だ。

火の鳥」は、ストラヴィンスキーらしい才気に溢れた華麗な管弦楽法で人気のある作品。当然プログラムのメインに置かれるし、なんとなく出来栄えが一番良く聞こえてしまいがち。ついそのように聞き入ってしまうのも仕方がない。

しかし、1曲目でドビュッシーらしい淡い色彩と芳香が立ち込めた時、2曲目のデュティユーで緻密なテクスチュア、ソロとオーケストラの絶妙なバランスが構築された時、3曲目のリムスキー・コルサコフで絵本のような描写が展開された時、私は「この指揮者は万能だ!」と、思わず心の中で叫んだ。どの曲でも、音を拾い上げ、浮き上がらせるのが抜群に上手い。これこそがソヒエフであった。


それにしても、先日のA定期といいこの日のC定期といい、NHKホール公演をソールドアウトさせるとは・・・。ソヒエフもついにメジャー昇格を果したのか。
それとも、あれか、来年のニューイヤー・コンサート指揮者決定で、「どれどれ、ソヒエフ聴いてみるか」みたいな御祝儀か(笑)。

「プログラムは当日発表」について思うこと

コンサートを行うにあたり、演奏プログラムを事前に告知せず、当日発表のお楽しみにする演奏家がいる。

例えば、ピアニストのアンドラーシュ・シフは、今年3月末に来日リサイタルを行うにあたり、東京での1公演を除いてそういう予定になっている。6月に来日リサイタルを行う同じくピアニストのユジャ・ワンも、今回はそうらしい。
また、事前発表を一応したものの、ほぼ「お楽しみプログラム」だった昨年のクリスティアン・ツィメルマンも、彼らのお仲間に入る。
「常に」「毎回」「これからもずっと」というわけではないだろうが、少なくとも彼らは、演奏会の新しい提供の仕方について模索し、果敢に試みているアーティストというわけである。

狙いは、一体何だろう。
彼らに直接尋ねれば、きっとその意図についてきちんと丁寧に教えてくれるだろう。もしかしたら、何かのインタビュー記事とか動画配信とかで、既に紹介されているかもしれない。

私自身はそういった情報をあまり確認しないため、憶測するしかないが、既存のやり方とは異なるアプローチを見せることで、お客さんがコンサートをもっと楽しみ、新たな発見をしてもらいたいと考えていることは明白であろう。

そもそも、半年とか1年も前に定めた演奏曲目が、必ずしも演奏会の時にやりたい曲とは限らない。そうではなく、演奏会が近接したタイミングで何がベストなのかを自身に問い、その時の取組み、コンディション、気分や閃き等も参考にしながら、作品をチョイスする。
場合によっては、当日、会場の雰囲気やお客さんの反応なども見ながら、臨機応変に対処する。
そうすることで、ワクワク感も増幅させながら、タイムリーな演奏の魅力、演奏家自身の魅力を引き出せるかも知れない。更に、そこで自らの芸術的創造性を高められることが出来るのなら、一石二鳥。

そんなところだろうか。

それに、リサタイルであれば、演奏家目当てで駆けつけてくれる人も多い。どんな曲をやっても、作品より演奏そのものを気に入ってくれる熱心なファンもいるだろう。
そういう人たちは、きっと考え方を理解し支持してくれる。演奏会を楽しみ、試みに満足し、より一層応援してくれる人が増えるかもしれない。
そういう狙いもあるかもしれないな。


一方で、「作品を聴きたい」と思っているお客さんが一定数存在する。
「この曲を聴いてみたかった!」
「プログラムがいいから、是非聴いてみよう」
「この作品をこのアーティストが演奏したら、きっと面白いだろうな」
「へぇー、この人がこの曲を演奏するのか!? そりゃ聴かなければ!」
こうした思いが動機となって、チケットを買う。

何を隠そう、この私がまさにそうだ。
そういう人間にとって「プログラムは当日発表します」は、はっきり言おう、困惑である。それ以外何物でもない。

いや、私だって「この演奏家だから」ということでチケットを買うことはよくある。「この演奏家なら、たとえどんなプログラムであろうと行くぞ!」と思うことだってある。
でも・・それでもやっぱりプログラムは重要だ。
どうせなら好きな曲を聴きたい。行くかどうかの判断で、プログラムを検討材料にして選択したい。「この演奏家はこの作品をどのように解釈するのだろう?」と事前に想像を膨らませたい。
プログラム当日発表は、そうしたことを制限し、期待に水を差す。当日発表の結果、もしまったく知らない曲のオンパレードだったりすると、少なからずの落胆が生じる。


幸い(?)、そういう公演、そういう演奏家はまだ少数派だ。
アーティストの考えや方針、チャレンジ精神、多様な演奏会のあり方等について、それらを決して全面否定するつもりはない。
が、あくまでも個人的願望としては、「この曲を演奏するぞ! さあ! どうだ!」と事前公表して、正々堂々勝負する演奏会に足を運びたい。その勝負、しかと見届けようじゃないか。


とりあえず、アンドラーシュ・シフは、プログラムを唯一事前発表した公演のチケットを買った。
ユジャ・ワンについては、残念ではあるが、行かないつもり。

2026/1/18 N響 A定期

2026年1月18日   NHK交響楽団   NHKホール
指揮  トゥガン・ソヒエフ
マーラー  交響曲第6番 悲劇的

 

ソヒエフが振るマーラー交響曲を初めて聴く。
また、自分のコンサート・データベースを見てみたら、N響実演によるマラ6鑑賞というのも初めてであったことが判明。「今までN響でマラ6を聴いたことがなかったのか・・」というのは少々意外であったが、その初めてをソヒエフで聴けるというのも、これまた良き也。

そのソヒエフのマラ6。
何と統制の取れた演奏であろうか。オーケストラというのは、こんなにも一致団結して指揮者の手足になれるのだろうか。
もちろん、これぞオーケストラからの全幅信頼を得て操縦するソヒエフの腕。
と同時に、指揮者にバッチリ対応し追従出来るN響の実力ということでもある。もっと言えば、これが日本のオケのレベルの高さであり、更にオーバーに言えば日本人の勤勉な国民性かもしれない。

楽器間、パート間のバランスは完璧だ。
時に、トランペットとかチューバとか、いくつかの楽器の音が突き抜ける箇所があったが、それは決してバランスが崩れたからではない。指揮者の音楽であり要求だ。間違いなかろう。音楽的な確信でそのように鳴らしたというのなら、好みの部分は置いておき、私は決して否定しない。


全体として、ソヒエフが描いたマーラーは、精緻で美しかった。既存の演奏というか、マーラーの既成概念を良い意味で見事に外している。タイトルは「悲劇的」だが、決して悲劇的ではない演奏。意図的にそういう音楽を作っている。
思い切って「マーラーの呪縛からの解放」とでも言ってしまおうか。
過度な激白、感情の吐露を抑え、慎み、儚さ、清閑さに美を見出したマーラー。ソヒエフのタクトは微に入り細を穿ちつつ、実に優しくオーケストラを包み込む。極上に可憐だった第2楽章のアンダンテ・モデラートは、全曲中の白眉。

「この清々しいマーラーはいったい何だろう?」
思いを巡らしていたら、ふと「幕開け」という言葉が頭に浮かんだ。明日への希望が感じられた新鮮な感覚。新たなマーラー像の開拓。

これをもって「新時代への予告」とするのは少々大袈裟だろうか。
もしそうなら、別に「2026新年の夜明け」でも構わない。

「今年はきっと良い年になる。」
幸福な気分に酔いしれた本年一発目のコンサート。

セミョン・ビシュコフ

パリ国立オペラ座が、空席となっていた音楽監督のポストについて、セミョン・ビシュコフが就任すると正式発表した。任期は2028年8月からスタートで、まずは先行して座付オーケストラの常任指揮者となり、活動を開始していくという。

「なるほどそうか、安定感を取ったな」というのが私の感想だ。
意外な感じはない。かといって無難という印象でもない。適任ではないかという気がする。

前任のG・ドゥダメルが任期を全うせず、わずか2年で「や~めた」してしまったドタバタ人事。コンサートを中心とするオーケストラと違い、オペラを取り仕切っていくのは困難かつ厄介な仕事。音楽監督といっても、その上に総裁やインテンダントがいて、なおかつ演出家とも上手くやっていかなければならない。1つのプロダクションにかかる時間も膨大。
素人が傍から見ても、「複雑で大変そうだよな」と思う。角が立つキャラクター、プライドが強烈な唯我独尊指揮者は難しいんじゃないか。

オープンで、バランスを取ることが出来、なおかつ泰然として動じない実績十分のベテラン。

こういう指揮者こそが適任で、まさにビシュコフがそういう人物なのではないか。
オペラ座は前回の失敗を教訓にし、音楽的手腕やビッグネームにとらわれず、人柄も含め慎重に時間をかけて人選していたに違いない。そこに、タイミング良く「ビシュコフチェコ・フィル退任」のグッド(?)ニュース。チャンスが巡って来た。パリはそれを逃さなかった。

いや、あくまでも憶測だけどね。

かつてパリ管の音楽監督だったという経歴も、プラスに働いたのではないか。
この場合のプラスというのは、もちろんお互いにとって。
フランスのお国柄、パリの音楽事情を知っている強み。フランス語、話せるんじゃないの? 奥さんはフランス人だし。
(最近の若いクラシックファンは、「ラベック姉妹」って知っているのかな?)


コンサート系のイメージが強いビシュコフだが、はたしてオペラはどうなのだろう。
これまでの実績を見ると、各地でオペラを振っている。決して未知数ではない。私自身これまでに、フィレンツェで「ボリス・ゴドゥノフ」、ウィーンで「ローエングリン」、ロンドンで「影のない女」、そして、東京で「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞している。

そう、この東京のトリスタン公演がパリ・オペラ座だった。2008年7月、同劇場の初来日引っ越し公演。観た方もいらっしゃるだろう。ビシュコフパリ・オペラ座は、意外な場所で繋がっていたわけだ。


さて、ビシュコフというと、日本では紹介される経歴の中に必ず「ロシア出身」というのが入る。旧レニングラード生まれだから、そういう意味でロシア人というのは正しい。
だが、彼は20代で政治亡命し、ロシア(旧ソ連)を離れている。もう半世紀近く前のことだ。そして現在の国籍はアメリカ。要するに、彼はとっくにロシアを捨てているのである。

にもかかわらず、今なおいちいち「ロシア出身」と言われ続けられるのは、本人としていかばかりであろうか。ましてや、「ロシアの指揮者」にカテゴライズされることなど、まったく望んでいないかもしれないね。

もっとも、「アメリカ人」というイメージでもないけどな(笑)。


私がビシュコフの名を初めて知ったのは、随分と昔、まだ存命・現役だったヘルベルト・フォン・カラヤンの爆弾発言だった。
巨匠が自ら自身の後継者として「ビシュコフはそのうちの一人」と語ったのである。
クラシックの楽壇に君臨していた帝王が後継に指名。ニュースは瞬く間に世界に知れ渡った。
旧ソ連やヨーロッパではそれなりに活躍していたかもしれないが、決して世界的な知名度があったわけではない若手指揮者。まさしくカラヤンの隠し玉、秘蔵っ子。
ビシュコフ、WHO??」

その後、その隠し玉がベルリン・フィルを指揮し、録音したショスタコーヴィチ交響曲第5番、それから第11番のCDを聴いて、私は腰を抜かした。凄まじい演奏。
「こ・・これが、カラヤンが後継に指名したあのビシュコフか!?」

あの時の衝撃は今でも忘れないが、冷静に振り返り、分析すると、もしかしたらベルリン・フィルの演奏水準にびっくりした可能性も高いのであるが・・・。まあ、それはいい。


残念ながらカラヤンの予告どおりにはならなかったが、地道に着実に実績とキャリアを積み上げ、ついに名門パリ・オペラ座のシェフにまで上り詰めたビシュコフ。これはパリの人だけでなく、世界のオペラファンにとって、きっと朗報ではなかろうか。私はそう思う。

トゥガン・ソヒエフ

流行りのAI(ChatGPT)にズバリ尋ねてみた。
「現役(存命)で国際的に第一線で活躍している世界のトップ指揮者を10人挙げてみて」

回答として出してきた名前は以下のとおりであった。
リッカルド・ムーティダニエル・バレンボイムサイモン・ラトルグスターボ・ドゥダメルキリル・ペトレンコアントニオ・パッパーノアンドリス・ネルソンス、フランツ・ウェルザー・メスト、ヤニック・ネゼ・セガン、エサ・ペッカ・サロネン

なるほど。なかなかいい線いっている。悪くない回答だ。
バレンボイムは病気のため活動がかなり制限されており、お世辞にも第一線で活躍しているとは言えないが、いちおう現役であり、これまでの実績と知名度、格付を考えれば、入ってきてしまうのも仕方がないだろう。
飛ぶ鳥を落とす勢いのクラウス・マケラが入っていないのは、AIの収集データが古いせいだろうか、あるいはまだまだ若造、これからの指揮者だと認識されたからだろうか。

ただ、いずれにしてもこの人の名前が挙がらなかったのは、さすがのAI先生も詰めが甘い。

その名を「トゥガン・ソヒエフ」。

確かに、ロシア出身というハンディがある。ウクライナ侵攻の煽りを受け、世界的なオーケストラや歌劇場のポストにも就いておらず、その意味からすれば、トップ指揮者カテゴリーに入りづらい部分があるかもしれない。また、スター指揮者としての華やかさやカリスマ性には欠けるため、幅広いクラシックファンから人気を博しているとも言えないのかもしれない。

しかしながら、動かしがたい確固たる事実がある。
天下の二大オーケストラ、ベルリン・フィルウィーン・フィルから絶大なる信頼が寄せられており、常連として定期的にお呼びがかかっているということ。世界最高のオケ、プロ中のプロ集団から「自分たちにとって重要な指揮者」として認められ、最高級の厚遇を受けているのだ。この点を見逃してはならない。

嘘だと思うのなら、この指揮者と両オーケストラの共演スケジュール、結び付きについて調べてみるといい。
例えば、ベルリン・フィルは、今年のイースター音楽祭(ザルツブルク)の客演指揮者としてソヒエフを招聘している。一昨年(バーデン・バーデン)も彼を呼んだ。
ウィーン・フィルは、同じくザルツブルクの今夏の音楽祭に客演指揮者の一人として招聘。なおかつ、つい先日に来年のニューイヤー・コンサートの指揮者にソヒエフを選んだと発表したばかり。世界中が注目するニューイヤー・コンサートの指揮台に立つ栄誉を彼に与えたということは、つまりそういうことだ。


プロオーケストラにとっての良い指揮者とはどういう指揮者であろうか。
色々な意見があるとは思うが、おそらく「自分たちの能力や性能、音楽的なレベルを更に一段上に引き上げ、その先に導いてくれる人」であろう。
ソヒエフは、おそらくそれが出来る指揮者なのだと思う。だから一流オーケストラから信頼されている。

そんな玄人指揮者ソヒエフが、ベルリン・フィルウィーン・フィルの他に、毎年欠かさず振っている恵まれたオーケストラがある。

我らが「NHK交響楽団」なのだ。ひょぇ~~(笑)。

2026年、新しい年の一発目のコンサート、N響定期演奏会がもうすぐだ。
指揮者はソヒエフ。
毎年日本でソヒエフの音楽を聴けるのは、当たり前のようでいて実は幸運なのだということをきちんと再認識し、肝に銘じた上で、会場に足を運ぶこととしよう。

2026年展望3 スポーツ編

日本人にとって大いに盛り上がりが期待できるビッグ・スポーツイベントが、今年3つある。
冬季オリンピック、WBC、そしてFIFAワールドカップだ。

特に、前回大会で世界制覇し、日本中が盛大に沸いたワールド・ベースボール・クラシック、通称WBC。
昨年、大谷翔平選手、山本由伸投手らの活躍によってドジャースワールドシリーズ連覇したこともあり、今度はその彼らが日本代表のユニフォームをまとって戦うというのなら、そりゃ誰もが観たいだろう。当然のことだ。もし再び世界チャンピオンになれば、きっと日本中が歓喜に包まれ、お祭り騒ぎになり、経済波及効果にも貢献することは間違いない。

そこに、思い切り水を差すような衝撃のニュースが舞い込んできた。
黒船Netflix ネットフリックスの襲来。独占放映権獲得による有料配信の決定だ。

このニュースを知った時は、私も思わず笑ってしまった。なるほど、そうきたか、と。
人気コンテンツを観たければ、金払え。タダで見ようなんて甘ぇぞ。世の中を舐めるんじゃねえ。
よくよく考えれば、至極真っ当な経済・市場原理であるな。

日本中からびっくりするくらい多くの嘆きの声が上がった。
ああ・・・楽しみにしていたのに、WBCが観られない・・・。ひどい。なんてことだ!!

まあ気持ちは分からないでもないが・・・
別に観られないわけじゃない。お金を払えば観られるのである。ただそれだけだ。
しかも、これがとんでもない、ひっくり返るような、とても手を出すことが出来ない仰天価格なら、その嘆きは当然かも知れないけど・・・ネットフリックスの料金は月額890円、広告抜きプランで1590円なのだ。

たった1回の昼メシ代っすよ、あーた。
おまけに、いつでも退会出来る。「最低でも◯か月間は退会できず、継続で料金支払いが必要」みたいな縛りもない。

これ、唖然として嘆き悲しむほどのことなんでしょうかねー。
大会なんてたかだか2週間くらいなんだから、加入して、観て、すぐに退会すれば、大した出費にはならないだろう。

おそらくみんな冷静になってじっくり考えれば、理解出来るはず。
にも関わらずそれが出来ず、大きな拒絶反応を示すのは、日本人は「映像コンテンツは無料が当たり前」という既存概念に強く拘束され、いつになってもそこから脱却出来ないからだと思う。


さて、私であるが、ご多分に漏れずネットフリックスには入会していないし、以前に契約したこともない。
また、日本代表を何が何でも応援したいというほどの熱意もない。
それでも、MLBを代表する各国のスーパースターたちが参集し、母国の誇りと威信をかけて戦う世界大会は、「ハイレベルなゲーム」として大いに観る価値があるだろう。

ということで、直前になったら加入し、せっかくだから話題になった「極悪女王」などの独自制作映画やドラマをついでに観て、観終わったらとっとと退会しようと思う今日このごろ。


オリンピックやワールドカップも、基本的に私のスタンスは同じ。頑張れニッポンはどうでもいい。
まあ「どうでもいい」というのはちょっと言い過ぎで、もちろん勝ってくれればそれは嬉しい。ワッシも日本人だからね。
でも、それよりも白熱の試合そのものを楽しみたい。

今年は、そういう世界イベントが3つもあるということ。これは純粋に喜ばしいことだ。