クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

私の原点(と言ってよいのか)

1975年4月3日 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  NHKホール
指揮  リッカルド・ムーティ
ベートーヴェン プロメテウスの創造物 序曲
ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
ドヴォルザーク 交響曲第9番新世界より


 私は皇帝マエストロ、リッカルド・ムーティのファンである。その私の自慢はムーティの75年ウィーンフィルとの初来日公演を聴いたことだ。

「どうだ、まいったか!」と言いたいところだが、実を言うと全く自慢できる代物ではない。
なぜかというと、まっっったく覚えていないから。(泣)

 1975年、私は当時小学4年生でした。もちろん自らの意思でチケットを買ったはずがないし、当時ですら1万円以上したであろうチケット代を、お小遣い月500円の自分が払えるわけがない。
 要するに親に連れて行ってもらった、っていうか「よく分からんが、とにかく連れて行かれた」というのが一番正確ですな。そんな、自分の意志で行ったわけではなく、自慢なんぞ恥ずかしくて言えないはずのこの公演こそが自分のコンサート遍歴の出発点を飾る輝かしい第一歩なのである。

 とにかく初めてだし、まだクラシックファンでもなんでもなかった。プロムテウスの創造物(知らん、知らん、知らん)、ブラームス「ドッペルコンチェルト」(まったく知らん)、新世界(おお!家路なら聞いたことがあるぞ)。
というわけで、唯一耳になじんでいる有名な第2楽章の「♪ たあ~らら~、たあ~らら~ ♪」をひたすら耳を澄まして待っていて、待っていて、ハイ終わり、また「知らん、知らん」が続く・・・これじゃあ何にも覚えていないのもしようがないよねえ(と、幼い頃の自分に同情する)。

それはそうと、75年ウィーンフィルと言えば、巨匠ベームも一緒に来たのである。(「ムーティベーム随行した」というのが正しいか?)

年月が経ち、物心が付き、すっかりいっちょまえのクラシックファンに変貌した少年はある日、意を決して親に真相を尋ねた。

「なぜ?なぜ、ベームにしてくれなかったの???」

親は冷静に答えた。一言。

「それしかチケットが残っていなかったから・・・。」

 しかし、この何とも悲しい選択が、結果的に後の指針となった。その後、来日2回目のフィラディルフィア管との来日公演では、巨匠オーマンディには目もくれずにムーティ先生の公演に行き、スカラ座来日公演ではクライバーには目もくれずにムーティ先生のナブッコを聴いたのだ。

 これって何か間違ってます??