クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2019/7/4 新日本フィル

合唱  栗友会合唱団
高橋絵理(ソプラノ)、与那城敬(バリトン
ブラームス   運命の歌、哀悼の歌、ドイツ・レクイエム
 
 
フランス人のド・ビリーは、ウィーン国立歌劇場の数多くのレパートリー公演を核となって支えているパートナー指揮者の一人。ウィーンのみならず、世界の主要劇場において一目置かれる逸材である。決してフランス作品のスペシャリスト扱いではなく、ドイツ物イタリア物、幅広く何でも振れるのが売りだ。
 
一方で、オーケストラ指揮者としては、ウィーン響やウィーン放送響などを振った実績が顕著だが、オペラでの目覚ましい活躍からすると、やや見劣りする。
実際私も、彼のオーケストラ公演を何度か聴いているが、正直、パッとした印象がない。
 
今回は、オーケストラ公演ではあるものの、合唱が軸になったプログラムで、彼の強みが発揮された秀演だ。さすがド・ビリー、これぞド・ビリーである。
 
まず、オーケストラと合唱の構成バランスがいい。
それから、作曲家あるいは作品の個性、持ち味の引き出し方がいい。
これらを踏まえてリハできちんと音楽を作ってきたことが瞭然で、これによっていわゆるブラームスの味わいをしみじみと実感出来たのが良い。
 
こうしてブラームスの合唱付音楽を聴いて、私はなんだかすっきりした気分になった。
なぜブラームスはオペラ作品を手掛けなかったのか、それが分かったような気がして、腑に落ちたのだ。
 
これまであまり意識して来なかったが、ブラームスの音楽の根幹にあるもの、それは「景色」であり、「佇まい」なのだと思う。カミーユ・コローの絵画のような作風。
「感情」ではないのだ。
いや、正確に言えば感情はあるが、思慮深く慈しみをもって抑制されている。
 
ゆえに、愛だの恋だので激情し、やれ裏切りだ戦いだ死だに明け暮れるオペラの物語に馴染まない。
 
もちろん私が勝手にそう考え、勝手に納得しただけのことだが、ド・ビリーのタクトで聴いて、そんなことに思いを馳せることが出来た。オペラ指揮者のド・ビリーが、オペラと決して交差しないブラームスの作品を詳らかにしたという意味で、なんだか妙に面白かった。