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2019/5/4 新国立劇場バレエ

2019年5月4日   新国立劇場バレエ
プロコフィエフ   シンデレラ
振付  フレデリック・アシュトン
演出  ウェンディ・エリス・サムス、マリン・ソワーズ
指揮  冨田実里
 
 
バレエというジャンルに興味がなく、純粋にプロコフィエフの音楽を聴こうと思って公演に足を運んだ人間の感想記事である。とてもじゃないが、バレエの芸術に関する観点からは言及が出来ない。だが、ド素人はド素人なりに、見て感じることがある。以下、率直に述べてみる。ガキみたいな感想かもしれんし、もしかしたらお叱りを受けるようなことを書くかもしれんが、ご容赦だ。
 
まず、いかにもド素人らしく驚いたのが、あの爪先立ちでの踊り。
なんであんな立ち方が出来るのか。
ていうか、そもそもなんであんな立ち方をしなきゃならんのか。
その方がより足が長く見えて美しいから、ということなのだろうが、人間が普段行わない不自然な姿勢をあえて加えてまでも美を追求しなければならんということか。
 
しかしなんだな、いくら鍛錬の賜物であり、特殊シューズを履いているとはいっても、足首痛めないのだろうかと心配になる。もしオレがあんなことやったら一発で骨折だな。うぇっ痛そう。ああ怖。
 
デュエットでヒロインが男性のリフトで持ち上げられて移動すると、まるで空中を飛んで駆け巡るかのよう。ちょっとしたことかもしれないが、これもバレエマジックの一つだろうね。
 
ソロの演技にしても、団体の演技にしても、よく訓練され、創造力に富んだ動きと構成は、さすがに素晴らしい。これぞバレエの醍醐味だろう。
 
だが、我々は同じく究極の演技美を追求した競技であるフィギュアスケートや新体操というものをテレビで見慣れちゃっている。
比較しちゃいけないんだろうし、そもそも比較の対象でもないんだろうけどさ、どんなにバレエダンサーが高く舞ったり、回ったりしても、羽生結弦クンの4回転ルッツ、紀平梨花ちゃんのトリプルアクセルの凄まじさにはかなわない。美しいが、なんだかまったり感が漂っている。
 
バレエは競技じゃないからだろうか。
これがもしバレエ・コンクールという場だったら、参加者は一発成功するかどうかの大技に挑んだりしているのだろうか・・。
 
今回、シンデレラという誰でも知っている物語の舞台なので、ダンサーはそれぞれの役を持ち、踊りと同時に、役としての演技を行わなければならない。
その演技が、とにかくクサイ。まるで子供向け演劇を見せられているようないたたまれなさ。
物語を展開させている以上、仕方がないのは百も承知とはいえ、ちゃちな演技はいらんなあ。演技しないでいいから、踊ってくれよって感じ。踊りでストーリーを語れ、だ。
 
やっぱ、踊りの魅力をとことん堪能したいのだったら、例えばラヴェルボレロストラヴィンスキーの三大バレエ音楽などのように、ベースとなるテーマは存在しつつもストーリー性にはあまり縛られない音楽作品の方がいいのだろうと思った。
 
期待していた音楽面については、単純にプロコフィエフ作品として、大いに楽しめた。ひたすら伴奏に徹した控えめな演奏なのかと思ったが、結構迫ってくるものがあり、良い意味で意外だった。そこらへんは、たとえバレエであろうが、しっかりと音楽を追求する指揮者であったり、東京フィル奏者であったりのプロフェッショナリズムを感じた。
 
お客さんの層は、バレエならではだ。女性が多く、お子さん連れが多い。
鑑賞マナーは劣り、前屈みで観ようとする人がとにかく多い。あれだけ館内放送をし、係員も呼びかけして注意を促しているのに、どうして彼らは聞こえないのだろうか。