クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

ノートルダム大聖堂

パリ・ノートルダム大聖堂の火災については、驚いた人、ショックを受けた人も多かっただろう。エッフェル塔凱旋門などと並んで、パリを代表する建造物だ。歴史遺産としても、観光スポットとしても、宗教的シンボルとしても、計り知れないほどの重要な価値を有していたことは、言うまでもない。
 
音楽面で言えば、この大聖堂のパイプオルガンは、豊かで荘厳な響きが世界的に有名で、オルガン奏者にとって、究極の演奏場であるらしい。
また、カラヤン唯一のサン・サーンス作品の録音である交響曲第3番「オルガン付き」は、このノートルダムのオルガンを使用したことで有名だ。
ベルリン・フィルの演奏に、別収録したノートルダムのオルガン演奏を合体して完成させるやり方はいかにもカラヤンらしいが、それだけあのカラヤンも、ノートルダムのオルガンの美しい響きに一目置いていたということだろう。私もその録音CDを持っているが、ドーム独特の残響も相まって、天井から降り注がれるような輝かしさが一際印象的だ。
 
ここで、私自身のノートルダム大聖堂の思い出について、書いてみたい。
 
初めてパリを訪れた時のことだ。今から30年前。まだ海外旅行3度目、ヨーロッパ2度目。大卒後に就職した会社を辞めてしまい、転職で新たな仕事に就く前の、つかの間の旅行。
「今後しばらく、長期旅行できるチャンスはない」と思い、勇んで約3週間の旅に出掛けたが、この時最初に訪れたのが、パリだった。
ホテル代は徹底的にケチった。事前予約せず、安宿街であるサン・ミッシェル界隈を歩いて探し、「星無し」ホテルの屋根裏部屋に宿泊。宿代は確か1500円くらいだったと記憶する。床の板がギシギシ音を立て、夜中には部屋にネズミが出没したっけな。今思えば、またとない貴重な体験だった。
 
で、パリの一発目、最初の観光巡りとして訪れたのが、ノートルダム大聖堂だった。凱旋門でもエッフェル塔でもない。
なぜなら、ホテルからノートルダム大聖堂は、セーヌ川を挟んで目と鼻の先だったからだ。
 
その日はおそらく日曜の午前だったのだろう。訪れてみると、ちょうどこれからミサが始まるところで、人々が続々と集まっていた。
信者ではないので断られるかと思いきや、普通に入れてしまった。案内の紙が配られ、手に取って見てみると、ミサの前にミニ・オルガンコンサートが催されるようだった。
 
おお、こりゃラッキー。最初のパリ観光がノートルダム大聖堂のオルガンコンサート(しかも無料!)だなんて、なかなか粋じゃないすか。
ミサはどうでもいい。オルガンコンサートを聴き、終わったらササッと抜け出てしまおう。
 
そんな魂胆は、脆くも崩れる。
係員に誘導案内されて着席された場所は、聖堂のど真ん中、さらに列のど真ん中だった。こそっと抜けられる状態ではなかった。
オルガンコンサートの後、直ちに始まったミサに図らずも参加することになり、非常に肩身の狭い思いをすることとなる。
言葉が分からない中、突然一斉起立したかと思ったら、聖書の一節を皆で唱和し、賛美歌を歌う。キョトンとしていた東洋人は、誰がどう見ても部外者だった。
「隣人を愛せよ」という教えの実践なのだろうか、司祭者の合図でいきなり隣の男性から握手を求められ、反対側の女性からは頬をくっつける欧州式キスをされた。面食らい、何が何だか分からなくて、とにかく戸惑いっぱなしの私。気まずくて気まずくて、早く脱出したくて仕方がなかった。
 
私のパリの出発点、第一歩は、こうした苦い経験とともに始まった。しかも、今となっては、オルガンコンサートがどんな感じだったのか、まったく記憶から抜け落ちている。今でも「ノートルダム大聖堂」と聞いて真っ先に思い出すのが、このミサというわけだ。
 
話を、火事に遭った大聖堂に戻そう。
マクロン大統領が、さっそく「再建に取り組む」と声明を出したようだが、おそらくパリ市民、フランス国民だけでなく、世界中から続々と寄付が寄せられると思う。既にフランスの大富豪や大企業から、数十億から数百億の巨額の寄付の申し出があったとか。
それだけ人々の心の拠り所になっていたということだろう。
 
私も、早く元の通りに再建されることを心から祈る。
 
ただし寄付はせんけどな・・。気持ちだけな。
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