2019年4月11日、13日 イゴール・レヴィット ピアノリサイタル
(THE VARIATIONS 東京・春・音楽祭) 東京文化会館 小ホール
4月11日 バッハ ゴルトベルク変奏曲
4月13日 ベートーヴェン ディアベッリのワルツによる33の変奏曲
ジェフスキ 不屈の民変奏曲
今、私が個人的に最も注目しているピアニストと言っていいかもしれない。天賦の才を感じる演奏家だ。
まず、その演奏に、解釈だとか、奏法だとか、練習の跡だとかが感じられないという不思議さからスタートする。頭で考えて弾いている感じもしないし、演奏しながら作曲家と対話しているようにも見えない。
かといって、即興的、自己陶酔的なのかと言えば、そういうのとも違う。
なんつうか、ピアニストによる演奏という行為ではなく、作品そのものが鳴っている、という印象なのだ。あたかもレヴィットが作品に乗り移り、命を吹き込んで音を鳴らしている、鼓動させている、とでも言おうか。
このため、演奏を聴いていて、あれこれ考えを巡らすということがない。時間の経過も感じない。ひたすら無我の境地となる。
演奏者による解釈が感じられず、ただ作品が鳴っているように感じるのだから、そういうことなのだろう。
そうなってくると、自分がどこにいるのかさえ分からなくなる。
コンサートホールという居場所を忘れ、なんだか広大な宇宙空間にいるような気にもなってくる。
また、自分自身のどこで聴き、どこで感じていたのかも分からなくなる。
耳なのか、頭なのか、ハートなのか・・・。
こんなにも神秘的な体験をさせてくれるピアニストは、近年覚えがない。
初日に聴いたゴルドベルク変奏曲と言えば、グレン・グールドが金字塔を打ち立てたが、なんだかグールドが現代に蘇ったかのような錯覚さえ覚える。
ちょっと絶賛が過ぎるかもしれないが、2回聴いて確信したレヴィットの率直な評価が以上のとおり。