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2019/4/7 新国立 フィレンツェの悲劇、ジャンニ・スキッキ

2019年4月7日   新国立劇場
ツェムリンスキー   フィレンツェの悲劇
プッチーニ   ジャンニ・スキッキ
指揮  沼尻竜典
演出  粟國淳
セルゲイ・レイフェルクス(シモーネ)、ヴゼヴォロド・グリヴノフ(グィド・バルディ)、斉藤純子ビアンカ)、カルロス・アルヴァレス(ジャンニ・スキッキ)、砂川涼子(ラウレッタ)、寺谷千枝子(ツィータ)、村上敏明(リヌッチオ)、大塚博章(シモーネ)   他
 
 
1時間物作品の二本立て。両演目は「フィレンツェ」が共通項になっている。
芸術監督の大野さんの発案かどうかは知らないが、関連性があって、きっと形になるだろうという目論見に違いない。
だけどさあ。脚本の言語も異なれば、音楽の様式だって全然違うじゃん。
基本的に、この二本を並べるのは強引だし、無理があると思う。
 
それでも、この二本は並べる意義がある、二本並べることで見えてくる何かがある、というのなら、それはきちんと提示してほしいし、演出家に頑張ってほしい。まさに演出家の出番。手腕が問われるのだ。
 
だが、そんな気配はまるで感じられなかった。粟國さんのインタビュー記事を見たが、諦めて「それぞれ」にしたと正直に告白している。
 
つまらんなあ・・。
これは劇場が演出家に果たした課題だぜ? 挑戦されたようなもんだろ? 受けて立てよ。
と言いつつ、どうせそんなこったろうと最初から思ってたけどね。
 
これが海外の演出家だったら、間違いなく堂々と受けて立つ。読替手法によって発想を飛躍させてでも、カギを探し出し、物語を発展させるように模索する。なぜなら、そうすることが演出家の使命だと信じているからだ。
日本人演出家は、それをやらない。出来ないんだか、出来るけどやる必要がないと思っているかは知らんが、とにかくやらない。
 
つまらんなあ・・。
 
つまらんついでにもう一つ。
フィレンツェの悲劇のクライマックス。
夫が妻の浮気相手と決闘する。妻は浮気相手に「夫を殺して!」と唆している。浮気相手を殺し、自分への裏切りに対する罰として、夫は「さあ、次はお前の番だ」と妻にナイフを向ける。
その時妻は、「なぜあなたがこれほど強いと言ってくれなかったの?」と尋ねる。
夫は、「なぜお前がこれほど美しいと言ってくれなかったのだ?」と答える。そして二人は抱擁し、キスを交わす・・・。
 
この不可解かつ意味深な結末のやりとりの解明こそ、演出家のすべきことなのではないのか?
この倒錯の世界が何を表しているのか、そこに踏み込むべきではないのか?
ここが物語の最大のポイントじゃないの?
 
ところがやっぱり粟國さんはインタビューでこう答えている。
「そこを突き詰めても意味がない。あのグロテスクさこそが挑発なのだ。」
 
意味がないのかよ、やれやれ・・・。
 
仕方ない。もう音楽について語るしかないね。
 
一番素晴らしかったのは、ツェムリンスキーの作品そのもの。もうそれに尽きるのだが、それだと上演の感想にならないので、ここはやっぱり音楽の魅力を最大限に引き出した指揮者沼尻さんのタクトを称賛したい。
 
歌手では、一番のビッグネームがご存知アルヴァレスなわけだが、初役だからか、演出のせいだからか、存在感がそれほど際立たない。
もちろん歌は上手いし、味もある。でも、この程度は、名歌手アルヴァレスにおけるフツー。
 
ブオーゾ家の親戚連中の皆さんは、よく訓練されていたし、アンサンブルも上出来だったが、「頑張りました!」感が随所で滲み出てしまうのが惜しい。
 
こういう「頑張りました!」感、昔から日本人歌手全般の特徴なんだけど、何とかならんかいな。
欧米のあちこちの劇場で活躍している韓国、中国の歌手たちは、そういうのあまり出ないぜ?
ということは、やっぱり経験値なのかねえ・・。