クラシック、オペラの粋を極める!

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2019/2/10、11 ムジカエテルナ1、2

指揮  テオドール・クルレンツィス
管弦楽  ムジカエテルナ
パトリツィア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)
2月10日   オーチャードホール
チャイコフスキー  ヴァイオリン協奏曲、交響曲第6番「悲愴」
2月11日   すみだトリフォニーホール
チャイコフスキー  ヴァイオリン協奏曲、交響曲第4番
 
 
天下無双クルレンツィスとムジカエテルナの一撃が、ついに日本で炸裂した。
特にコンチェルトは、コパチンスカヤの縦横無尽の演奏によって、二つの会場で旋風が吹き荒れた。
 
彼女の演奏は、恐ろしいまでにエキセントリック。
その凄惨な狂気を、指揮者クルレンツィスが全力で受け止めるだけでなく、そこから更に拍車をかけて、音楽を昇華させていく。
コパチンスカヤは、水を得た魚のようだった。あの演奏は、クルレンツィスとしか成し遂げることが出来ないだろう。彼女は自らの音楽表現において、最良パートナーを見つけたに違いない。
 
で、それはクルレンツィスにとってもまったく同じ。コパチンスカヤは、自分の音楽を誇示するために必要な最終秘密兵器となっているのだ。
 
交響曲においても、異様とも言える扇動力に満ち、やはりクルレンツィスの独壇場である。
極限なまでの集中力。時に強弱などの規則や慣習を破壊することを厭わない潔さと高慢さ。
ただし、一つ確かなこと。
そうした破壊そのものが、決して彼の目的ではないということだ。
むしろ逆で、破壊ではなく再生させることにすべてを賭けている。再生させるために何かを犠牲にしている部分はある。だが、それは必ず次の再生に活かされている。
 
案の定というか、聴衆は熱狂した。
しかし私は、その圧倒的なボルテージに煽られて見境もなく興奮したかといえば、実を言うと、かなり冷静だった。
何と言おうか、ロックコンサートでの盛り上がりの中、腕を組んで純粋にその音楽の中身を探している、みたいな。
(それでも、何度もゾクゾクした場面があったことは、正直に言っておく。)
 
聴きながら、頭の中で巡らしていたことが二つ。
一つは、「自信満々の演奏であることは分かったが、果てしてこの鬼才は、音楽を本能的な感覚で作っているのか、それとも作為的、いわば確信犯的に作っているのか」ということ。
 
もう一つは、「徹底的に鍛え上げたムジカエテルナだからこそ可能となった演奏であって、果たして他のオケの客演でこれを成し得るのか」ということ。
 
考えた結果、結論は出なかった。現状では、分からない。
結論を出すためには、もっと他の音楽を聴かなければならないし、他のオケでも聴かなければならない。
今回の来日公演は、オール・チャイコフスキー・プログラムだったが、出来ればマーラーを聴きたかったし、ショスタコーヴィチとかストラヴィンスキーとかを聴きたかった。もちろん、モーツァルトだってベートーヴェンだって構わない。
 
まあとりあえず、次もまたチャイコフスキーとはいえ、あと一公演機会があるので、もう少し「クルレンツィスの謎と神秘」に迫ってみることとするか・・。
 
P.S
本日、アンコールで幻想序曲ロメオとジュリエットをやるなんて、驚異的。信じられない。
まさか13日のリハ??(笑)