クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2019/1/9 影のない女

2019年1月9日   ハンブルク州立歌劇場
演出  アンドレアス・クリーゲンブルク
エリック・カトラー(皇帝)、エミリー・マギー(皇后)、リンダ・ワトソン(乳母)、ヴォルフガング・コッホ(バラック)、リズ・リンドストロームバラックの妻)   他
 
 
このプロダクションのプレミエは2017年4月。その年のゴールデンウィーク、つまりプレミエチクルスの一公演を、鑑賞する予定だった。
しかし、以前の記事にも書いたとおり、この時旅行をキャンセルしてしまった。
 
今回、思いがけずの再チャンス到来。
しかも、プレミエ時、当初はK・ナガノが振る予定だったが、そのナガノは病気により降板していた。
もしプレミエを観ていたら、首席指揮者のドタキャンに少なからずの落胆があっただろうから、今回の鑑賞はそういう意味でも願ったり叶ったりである。
 
ちなみに、私はここハンブルクで、2007年にも「影のない女」を観ている。この時の指揮者はS・ヤング(当時の首席指揮者)、演出はK・ウォーナーだった。
 
その12年前の旧プロダクションにも出演し、今回もまた起用されている歌手が一人いる。
 
皇后役のE・マギーである。
 
私は彼女が歌う皇后を聴くのは、なんとこれで5回目なのだ。
それだけ長年に渡り、世界各地でお声がかかっている証拠だろう。彼女自身のキャリアの中でも、極めて重要かつ得意な役であることは間違いない。
(ちなみに、2010年新国立劇場で上演した「影のない女」にもマギーは出演した。)
 
そのマギーの皇后、相変わらず本当に素晴らしい。
歌そのものは非常に洗練され、純粋に音楽的。高度な歌唱技術も駆使しているのだが、そういう難しさを微塵も感じさせることがなく、しかも、演技が役と完全一体化しているので、見ている者は皇后にどんどんと引き込まれ、感情移入する。
なぜ彼女がこの役の第一人者で、世界中でひっぱりだこなのか、観れば十分に分かるというものだ。
 
幸運なことに、今回はマギーだけでなく、主要なキャストすべての歌手が一様に素晴らしかった。
特に、乳母役L・ワトソンは、クセのある役で圧倒的な存在感を示し、あたかも新たな境地を見つけたかのようだった。
カーテンコールは、各キャストに対して盛大なブラヴォーが飛び交ったが、そんな中でもワトソンへの拍手が一番大きかったと思う。
 
指揮者のナガノだが、綿密かつ丁寧な音楽作りだった。これぞナガノのタクトの真骨頂だが、彼がもっとも細心の注意を払っていたのが、バランスだったと思う。
 
オーケストラの厚い響きの中でも、歌が埋没しないように気を使い、歌手たちのアンサンブルが均一化されるように気を使い、とにかくそれに明け暮れていたという感じだ。
 
その分、シュトラウス特有の絢爛たるカタルシスが犠牲になることがある。バランスを多少崩してでも、豪華に鳴らしてしまえばいいのに、そこは頑固に守る。
これもまたいかにもナガノらしいのだが、そこがひょっとすると人によって物足りなさを感じるかもしれない。
実際、カーテンコールでは多くのブラヴォーに混じって、ごく一部ブーが飛んでいたが、なんとなくそうなのかなと思った。
でも、ブーはないな、ブーは。
私はその方面に目を向け、「これがナガノの音楽なんだよ。受け入れてやれよ。」と呟いた。
 
クリーゲンブルクの演出について。
せり上がりの装置が非常にダイナミックで目を見張る。霊界と地上の世界を結ぶ舞台転換に、絶大な効果をもたらしている。
 
だが、クリーゲンブルクがこの舞台でやりたかったのは、そうした見た目のスペクタクルさではなく、もっと繊細な人間ドラマであった。
 
彼は、一つの試みとして、この物語にある夫婦の試練を、病いとの対決に置き換えた。
舞台前方にベッドが置かれ、バラックの妻がそこで眠っている。物語は、すべてバラックの妻の夢の中の出来事のようでもある。
 
夢で見ているおとぎ話の中、突如現代の医療ベッドが登場し、そこにバラックの妻が病いに臥せっている。
妻の病状を案じ、回復を祈りながら寄り添うバラック。そのベッドの中にいるバラックの妻は黙役の別人が演じており、その陰でそうした夫の献身な姿を、妻がそばで見つめている、という手の込んだアレンジメント。
 
皇后の「水を飲まない」という決断によって病いが治癒し、夫婦は危機を乗り越える。
また、皇后の決断は、更に人間の内面の開放、童心への回帰をもたらす。
弱さ、醜さ、滑稽さを象徴するかのようなお面をかぶって登場していた人間たちが、皇后とバラックの妻から一人一人お面を脱がされると、そこに現れたのは少年少女たち。彼らは純真な子供に戻って、元気よく遊び始める。
 
ということで、演出家の意図は十分に感じ取ることができた。この上ないハッピーエンドに、シュトラウスの極上の喜びの音楽が見事にマッチしていた。
 
また一つ、大好きなこの作品で、素晴らしい舞台に出会うことが出来、こんなに嬉しいことはない。