クラシック、オペラの粋を極める!

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2018/9/15 ローマ歌劇場 椿姫

2018年9月15日   ローマ歌劇場   東京文化会館
ヴェルディ   椿姫
指揮  ヤデル・ビニャミーニ
フランチェスカ・ドット(ヴィオレッタ)、エリカ・ベレッティ(フローラ)、アントニオ・ポーリ(アルフレード)、アンブロージョ・マエストゥッリ(ジョルジョ・ジェルモン)   他
 
 
歌の醍醐味、旋律の美、豪華な舞台。究極の愉悦、耳と目の快楽。
「どうだ参ったか、これがイタリア・オペラだ!」ってなもんだ。
結局多くの日本人は、こういうのを求めているんだろうな。これぞオペラという定番中の定番を鑑賞し、そこに求めているものが見つかって安心し、「素敵ねえ」と言って満足する。
こうして我々は今までも、そしてこれからも、永久に椿姫を提供し続けられる。オペラファンである以上、オペラを観続ける以上、椿姫からは絶対に逃れられないというわけだ。
 
せめて私が出来ることは、この宝石のように美しい名作をこれでもかとばかり食べさせられ続けた結果、「飽きてしまった・・」などということがないように、適度に予防し、厳選していくということ。私がこの趣味をやっていて最も怖いのが「飽き」なのだから。
 
「飽き」と言えば、主役のフランチェスカ・ドット、彼女のキャリアを調べてみると、ひたすらヴィオレッタ(時々ムゼッタ、ミカエラ、ドンナ・アンナ)なのであるが、飽きないんですかねえ・・。
 
きっと飽きないんだろうな。
偉大な演奏家は、日々研究を重ね、異なる指揮者と異なる演出によって日々新たな発見をしていく、ということらしい。
それに彼ら彼女らはそれでギャラをもらっているプロだしな。「飽きた」なんて言ってられないわけだ。
 
そのフランチェスカ・ドット、初めて聴いたが、なかなかいい。
なかなか、なんて言っちゃいかん、素直に褒めよう、素晴らしい。さすがヴィオレッタのスペシャリストだ。感情をしっかりと音符に載せ、ストレートに発信する表現力が見事だ。決してドラマチックなわけではないのだが、その分内面の表出が繊細で、第一幕と第三幕の歌い分け、演じ分けがとても迫真的だった。
 
ヌッチの代役としてマエストゥッリが出演したのは大きかった。ヴィオレッタとアルフレードの束の間の幸せな生活にヒビを入れ、悲劇に追い込む重要な張本人役として、身体のデカさと併せて存在感を見せつけていた。
 
アントニオ・ポーリくんは、まあ普通(笑)。
 
演出を務めたソフィア・コッポラ
多くの人は、その正統的で美しい舞台に満足したのだろうけど、わたし的には不満。
不満というか、よく分からない。
いったいこの人は、この舞台で何を表現したかったのだろうか。
演出にあたって、思いを込めたものはいったい何だったのだろうか。
演出家が考える椿姫とはいったい何だったのだろうか。
 
例えば、第一幕で登場する大きな階段。
この目を見張るような装置を見れば、私なんかは「この階段は、つまり転落の象徴。彼女の人生の浮き沈みの渡り綱なんじゃないかな?」などと想像し、そこに演出上のテーマやカギを見出そうとする。
なのに、その階段は以後の場面で登場しない。結局単なる舞台装置だったわけで、「いったい何だったのだろうか」となる。
 
単に美しい舞台にしたいのだったら、映画界の巨匠の娘として名を馳せている人をわざわざ連れてこなくても、有能な衣装と美術と装置のマエストロに存分に仕事をさせればいいだけの話。
 
何も、現代演出にしろだとか、読替演出にしろだとか、そんなことは言わない。
せめて、ソフィア・コッポラが考える「椿姫」のメッセージを我々に伝えてほしかった。
もし演出家のメッセージが「音楽を聴き、音楽が発信する椿姫を各自が捉えてください。」ということならもう何にも言えねえけどな。