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マーラー 交響曲第2番、第3番

6月28日(木)に読響で第2番復活(指揮:C・マイスター)、翌日29日(金)にバンベルク響で第3番(指揮:J・フルシャ)を続けて聴いた。
いつもならそれぞれの鑑賞記を書くところだが、少し趣向を変えて、両作品について、というより私の両作品への思い入れについて書こうと思う。言うまでもなく大好きな二作品だ。同時に、壮大なスケールを持つ非常に特別な作品だと思う。
 
両作品とも最終楽章のフィナーレに向けて徐々に盛り上がっていくところは、ゾクゾク感がたまらない。圧倒的な高揚感に包まれて締めくくられると、思わず「ブラヴォー!」と叫びたくなってしまうのも分かるというものだ。あたしゃ叫ばんけどな。
(それにしても、読響復活のぶち壊すような汚いブラヴォーは酷かった(笑))
 
だが、実を言うと、私個人的に曲の中で一番好きな箇所はフィナーレ部分ではない。
 
第2番復活で一番好きな箇所は、第3楽章が終わってすぐに第4楽章「原光Urlicht」が開始され、メゾが「O Röschen rot!」と歌うその瞬間である。
第3番で一番好きな箇所は、第5楽章が終わってすぐに第6楽章が開始され、弦楽器の穏やかで緩やかな演奏が始まるその瞬間である。
 
この瞬間、音楽が変わり、風景が変わり、空気が変わる。
その神々しさといったら!まさに奇跡の瞬間、神秘の瞬間なのだ。
ジーンときて、ヘタをするとここで思わず涙が頬を伝ってしまう。
 
不思議なのだが、「原光」を単独で聴いても、あるいは歌曲集「子供の不思議な角笛」を聴いても、あの「ジーン」は来ない。
なのでやっぱり、楽章が変わって雰囲気が一変するその瞬間の妙がゾクゾクするのだろう。
 
第3番の第3楽章のポストホルンも大好きだ。
あの森の奥から聞こえてくるような懐かしい旋律を聴くと、私は「アルプスの少女ハイジ」に出てくるようなヨーロッパののどかな景色を思い浮かべる。それから、訪れたことがあるアッター湖畔のマーラーの作曲小屋(第3番が作曲された場所)の景色を思い浮かべる。
 
思い浮かべる、と言えば、第2番復活のフィナーレ合唱が始まる直前、フルートとピッコロの掛け合いの場面で、いつも瞼に浮かぶのは、手塚治虫の「火の鳥」なのだ、なぜかどういうわけか。
 
おそらく、「復活」、「蘇る」というキーワードに、不死鳥フェニックスのイメージが完全にかぶるからだろう。
 
最後に、第2番復活のフィナーレ、合唱のクロプシュトックの賛歌。
私ね、歌詞、全暗記してます(笑)。随分前に覚えました。
 
なぜかって。
決まってるがな。歌いたいんだよ、一緒に。
あんなにも感動的な合唱を、どうして傍観していられようか。
 
もちろん声は出せない。また、口パクするのも、なんだかこれみよがしなので、絶対にしない。
心の中で歌うのだ。合唱と一緒に。ソリストと一緒に。
 
残念なことに、すべてを一緒に歌えない。
なぜかというと、ソプラノ・ソロとメゾ・ソロで掛け合いがあるし、合唱でも掛け合いがある。単旋律で歌い続けられないのだ。
でも、大した問題ではなくて、とにかく演奏に参加しているつもりになりきることが重要だ。
この場面、指揮者も一緒に歌っていることが多い。
 
実際、合唱の一員として一緒に声を出して歌えたら、さぞや感動的だろうな。感極まっちゃうだろうな。
まあそれは叶わないので、心の中で歌う。結構それでも十分に自己満足できちゃうわけさ。