クラシック、オペラの粋を極める!

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クリーヴランド管弦楽団 プロメテウス・プロジェクトより

ベートーヴェン  「プロメテウス・プロジェクト」
指揮  フランツ・ウェルザー・メスト
合唱  新国立劇場合唱団
ローラ・アイキン(ソプラノ)、ジェニファー・ジョンストン(メゾ・ソプラノ)、ノルベルト・エルンスト(テノール)、ダション・バートン(バス・バリトン
2018年6月5日  コリオラン序曲、交響曲第8番、交響曲第5番
2018年6月6日  交響曲第2番、交響曲第6番「田園」、レオノーレ序曲第3番
2018年6月7日  弦楽オーケストラのための大フーガ、交響曲第9番「合唱付」
 
 
5回のチクルス中、上記の3回に行ったわけだが、5回全部行けば良かった、行くべきだったと思った。(予算的な問題があるのはさておき)
 
単純に「どれも素晴らしい演奏だったから」というのもあるが、それよりも、すべての演奏において、指揮者ウェルザー・メストの示した指針に揺るぎがなく、全体として一貫していたからだ。
そして、「5回全部の公演を通じて答えを出す」みたいな気概が感じられたからだ。
さすがチクルス名として「プロジェクト」と名付けただけのことはある。プロジェクトにふさわしく、チクルスが一つの壮大な作品であり、テーマであった。
 
今回の販売プログラム冊子には、メスト自身がプロジェクトについて講釈した解説が掲載されていたそうだ。私はプログラムを買わない人間なので(もちろん立ち読みもしない)、どんな内容なのかは知らない。が、知らなくても演奏を聴けば、「あー、メストはベートーヴェンをこういう風に演奏したいんだな」というのが手に取るようによく分かる。
 
そのメストの解釈、「こうだ!」と一言で結論付けられるほど単純なものでは決してないのだが、それでも聴いた印象から思い切り分かりやすく述べてしまえば、「大きなフレーズの流れ重視」ということだと感じる。私は。
力まない、踏ん張らない、誇張しない、喚かない。突然走り出したり、突然立ち止まったりしない。自然体なのだ。
 
その自然な流れを構築するために、メストは色々とやっている。
普通、指揮者は、フレーズの中に潜むポイントを読み取って、そこに変化を加えようとする。テンポや強弱を変えたり、表情を付けたりする。個性、独自性を示したいからだ。
メストの場合、通常そこに変化が加わりそうなポイントについて、あえて自然体に戻す作業をしているんじゃないかと感じる。変化によって音楽の流れが止まってしまうことを丁寧に回避させている、というか。
じゃあ、そのためにただ平坦に淡々滔々と指揮しているかと言えば、そうではない。おそらくリハーサルは綿密で、指示は厳格とみた。全ては流れを構築し、自然な雄弁さを醸し出すためだ。
 
個々に見て、比較的快速な演奏が多かったが、これも意識的に早いテンポを設定しているというより、ベートーヴェンの音楽の流れとはこういうものなのだ、という必然性が伝わってきた。
 
もしこれらの私の見立てが正しいとすれば、この指揮者はやっぱり只者ではないと思う。すごいと思う。
 
私の場合、何を隠そう、メストが指揮した公演の鑑賞、約8割がオペラなのである。コンサートの方が圧倒的に少ない。
で、こうして集中してコンサートを聴いたところ、オペラでは気が付かなかったこの指揮者の特徴を見つけることができた。これは収穫だった。
 
クリーヴランド管弦楽団の音色も、これまた個性的な味わいだ。
他のアメリカのメジャー・オケ、NYフィル、フィラ管、シカゴ、ボストン、ロス・フィルなんかとは全然違ってヨーロッパ風だが、じゃあヨーロッパのオケと同じかと言えば、これまた違う。
言うなれば「クリーヴランド色」だ。
ジョージ・セルの薫陶がいまだに息づいているのか。それともメストとのコンビの賜物なのか。
たぶん、その両方なんだろうなと思う。