マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
音楽を聴き、それが自分の心にどう響くか、感動するかどうかは、聴く側の受入れ体制、気の持ち様によって大きく左右される。これは間違いない真実である。
同じ曲でも、同じ演奏でも、聴く側が心待ちにして臨み、作品や演奏者に対し最大限の敬意を払うと、その見返りは、なぜか大きくなる。なんだかものすごく良い物を得た幸福感、満足感でいっぱいになる。
ピリスの演奏、もし今回、引退公演ではないごく普通の来日公演だったら、こんなに集中して聴いただろうか。こんなに感興が沸き起こっただろうか。
答えはノーだろう。
一音一音噛みしめながら、じっくりしみじみと聴いていると、なんだか演奏云々を通り越し、ひたすら感謝の念でいっぱいになった。
それは、ピリスの演奏に夢中になったというより、ピリスというアーティストに巡り会えた喜びと、「これが最後」という寂寥、ただそれだけだったような気がする。
日が変わって時間が経ち、冷静になった今、果たしてそれで良かったのかなあと、ふと思い直す。
正直、演奏の水準としては「まあ、普通かなー」みたいな気がしないでもないのである(笑)。
まあいいでしょう! ピリスさん、お疲れ様でした! ありがとうございました!
最大限の敬意を払って一音一音噛みしめながら聴いていたのは、後半のブロムシュテットもまったく同様。
こちらの演奏は、N響の献身的な演奏技術が見事に結実し、至高の一品が出来上がった。
もう一つ気がついたこと。
こういう傑出した指揮者の下で演奏されれば、普段は前半プログラムに置かれるような作品であっても、十分にメインが張れる。これもまた、間違いない真実である。