クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2017/12/10 アンドレア・シェニエ

2017年12月10日   ミラノ・スカラ座
ジョルダーノ  アンドレア・シェニエ
演出  マリオ・マルトーネ
ユシフ・エイヴァゾフ(アンドレア・シェニエ)、アンナ・ネトレプコ(マッダレーナ)、ルカ・サルシ(カルロ・ジェラール)、アンナリサ・ストロッパ(ベルシ)、マリアンナ・ペンチェヴァ(コワニー伯爵夫人)   他
 
 
二日前の12月8日、ウィーンでの朝。朝食前のひととき。何が見たいわけでもなく、カチャカチャとチャンネルを回していたテレビリモコン。
スイッチを押す手がふと止まったのが、イタリア国営放送RAIのニュース。(向こうは多チャンネルで、各国の番組を視聴することができる。)
そこでは、前夜7日にプレミエ初日を迎えたスカラ座公演の様子がリポートされていた。
 
まるでオリンピックの開会式を中継するかのように、高揚した声で現地から伝える特派員。
会場の熱気、セレブやVIPの華やかな装い、そして大盛況のカーテンコール・・・。
 
改めて感心した。
スカラ座の12月7日のプレミエ公演は、国家的とも言える一大イベントなのだ。
 
素晴らしきかな。オペラの上演が国家的イベントとなるイタリアよ、永遠なれ。
 
さて、スカラ座によるシャイー指揮の「アンドレア・シェニエ」といえば、DVDにもなっている1985年のライブを挙げずにはいられない。
この時の主要キャストは、シェニエがカレーラス、マッダレーナがE・マルトン、ジェラールがカプッチルリだった。
カレーラス、そしてカプッチルリが、なんとも素晴らしい。(マルトンも、もちろん悪くはない。)
特にカプッチルリの堂々たる歌いっぷりは、痺れるくらい。惚れ惚れする。スカラ座の聴衆が熱狂し、なかなか拍手が鳴り止まず、カプッチルリが照れ笑いを浮かべる様子が映像に収められていて、これは非常に貴重な記録だ。
カプッチルリは、個人的に史上最高のカルロ・ジェラールだと思う。彼を超えるジェラールは、もう現れないんじゃないか・・。
 
時は32年流れた。
キャストは、当たり前だが、一新。シャイーの年齢も32から64と倍になり、今や押しも押されもせぬスカラ座音楽監督。年月というのは、実に感慨深いものである。
 
年は取ったが、シャイーのタクトは相変わらず溌剌としている。出てくる音は明るく、瑞々しく、生き生きとして輝かしい。
 
興味深いことだが、シャイーが振る音楽は、オペラであろうが交響曲管弦楽曲であろうが、いつもこう。これが特徴だ。これこそシャイーの音楽の源泉なのだ。
指揮者の個性が明快で、自分の音を持っている。そして、自分の音にする力を持っている。
大した指揮者だな、と思う。
ベートーヴェンであろうが、チャイコフスキーであろうが、どれもみんな明るく瑞々しいというのが、果たしていいのか悪いのか(あるいは好きか嫌いか)は別にして・・)
 
アンドレア・シェニエ」に関して言えば、この作品を鑑賞するにあたり、どの角度で捉えるかで、感じ方のニュアンスが変わってくると思う。
 
青春の謳歌なのか、死を選ぶことで成就する愛の喜びなのか。
はたまた、革命の犠牲の叫びなのか、抗えない運命の悲劇的結末なのか。
シャイーの音楽を聴いていると、どうしても前者を称えているように感じてしまうが、はたして指揮者の本意はどうなのだろうか。
 
主役の二人は、世界最高の歌姫と、そのパートナー。
10月の来日リサイタルでは、本公演の予行演習をするかのように、それぞれがこの作品の有名アリアを歌い、最後にラストの二重唱でばっちり締めた。
 
第一幕、少女マッダレーナの初々しい表現にはなんだか違和感ありありだったが、幕を追って、女性として成熟していくにつれ、ものすごく芯の強い歌唱に劇的に変化していった。圧巻。これぞネトレプコ
オペラグラスで覗くと、彼女の視線は常に真っ直ぐで揺るがない。未来を見つめているのだ。その演技と姿勢が凛として美しい。
 
次にエイヴァゾフ。
シェニエの役作りのために、きれいに髭を剃ってきた。若々しく、そしてかっこいい。
若干棒立ちの演技はぎこちないが、輝かしいアクートで、決めるべきところをバッチリ決める。息を呑む聴衆。
このアクートこそ、エイヴァゾフの生命線であり、強力な武器だ。これがある限り、「ネトレプコの旦那」でなく、「エイヴァゾフ」として十分にやっていける。
 
ジェラールのサルシ。
カプッチルリとは比較しません(笑)。サルシはサルシのジェラール。欲望と品位というジェラールの二重人格性をうまく使い分けている。「研究してきたな」という印象だ。歌唱は安定し、盤石である。
 
演出は、回り舞台装置を活用し、多面的なシーンを創出しながら、演技も衣装も基本的にオーソドックスで、原作に忠実なアプローチ。なんだか「天下のスカラ座で、この作品の上演における模範を示し、規格を打ち立てる」みたいなプライドに満ちた戦略が薄ら見える気がしなくもない。
 
総合的な私の評価を下そう。
「芸術的完成品。十分すぎるくらい素晴らしい。だが、これくらいはスカラ座において普通であり、標準。劇場の栄えある歴史を飾ってきたあまたの伝説的公演には及ばないんじゃないか?」
 
ところが、である。
カーテンコールの喝采は、驚くほど爆発的であり熱狂的だった。
モーストリー・クラシック最新号による音楽ジャーナリスト堂満氏のレポ記事によれば、現地の有力新聞紙評は「史上稀に見る大成功!」との大絶賛雨あられだったそうな。
 
「まじかー!?」って感じ(笑)。