クラシック、オペラの粋を極める!

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2016/12/22 清教徒

2016年12月22日   チューリッヒ歌劇場
指揮  エンリケ・マッツォーラ
演出  アンドレアス・ホモキ
スタニスラフ・ヴォロビオフ(ヴァルトン伯爵)、ミケーレ・ペルトゥージ(ジョルジョ)、ハヴィエル・カマレナ(アルトゥーロ)、ゲオルグ・ペテアン(リッカルド)、ツツァーナ・マルコヴァ(エルヴィーラ)   他
 
 
清教徒、なかなか上演されない理由が改めて分かったよ。
答えは一つ。アルトゥーロを歌えるテノール歌手を見つけるのが困難なのだ。
ここで言う困難だというその理由も、答えは一つ。
ずばり、超高音ハイDを問題なく出せるかという技術的問題なのだ。
 
それにしても、なんでまたベッリーニさんはこういう恐ろしい音を要求したかねぇ・・・。
 
Cを出すのだって難しいんだ。トロヴァトーレのマンリーコ役の人がハイC出せず、例のアリアで半音下げてごまかすなんてこと、みんな知ってるだろ?
ましてやD音なんか、もはやトレーニングによって身に付ける領域ではない。本番の舞台で完ぺきに決めたいのなら、もう天賦の才能にすがるしかない。
 
美しい旋律に満ち溢れた魅力的なベルカントオペラ、清教徒。このハイトーンさえなければ、世界で上演の機会はもう少し増えるだろう。惜しい気もするが、一方で、スペシャル感を生んでいるとの見方もある。天国にいる作曲家自身が望んでいるのは、はたしてどっちだろうか?
 
さて、本公演ではそんな困難は見事にクリアされた。歌える歌手をがっちり確保したのだ。
ハヴィエル・カマレナ。
天賦の才能の持ち主。ハイトーンだけなら、もはやフローレス級。
(カマレラ、フローレス、シラグーサ、S・アルベロ、J・オズボーン、J・ブロス・・・歌えそうなの、あと誰かいる?)
 
輝かしい高音が轟いた瞬間、会場に稲妻の閃光が走った。失神しかけたお客さんはいなかっただろうか。ふと心配になる。それくらいヤバい音だ。カマレナ、恐るべし。
別に狙ったわけではないが、フローレス、カマレラという特別な才能のテノールを連日連夜で聴けたのは、得難い体験だった。
 
ヒロイン・エルヴィーラを歌ったマルコヴァは代役だ。当初ネイディーン・シエッラの予定だったが、変更になった。歌に少々ムラがあるのが気になったが、一生懸命さが伝わってきて、思わず応援したくなった。
一方、ペルトゥージ、ペテアンの両者は、手堅くて万全。さすがの実力派だ。(ペテアンは、一昨年のローマ歌劇場来日公演で、シモン・ボッカネグラを歌ってたね。)
 
指揮者のマッツォーラは、ライブ映像でその姿を見たことはあるが、生鑑賞したのは初めて。
決して器用なタクトではないが、ダイナミックで推進力があり、かつ説得力があった。
 
演出は、チューリッヒ歌劇場のインテンダント、ホモキ。
単なる恋愛ドラマではなく、王党派と議会派の血みどろの戦いもきちんと描いたのはとても良かった。
だがいかんせん、装置として使った回り舞台が単調で陳腐でつまらない。
これが予算規模の小さな中小劇場なら分かる。けど、天下のチューリッヒだぜ。欧州屈指の一流劇場だぜ。もうちょっと何とかならんかったかのう。
 
さて、清教徒という作品にはエディション(版)があることをご存知か? 私は薄々知っていたものの、詳しくない。
この日上演された演奏、知らない旋律や伴奏が数多くあって、少々面食らった。ただしそれがエディションによるものなのか、だとしたら何版だったのか、それとも慣例ではないノーカット演奏によって出現した聴き慣れない物なのか、よく分からなかった。
 
最大の衝撃はラストシーン。
私が知っている(私だけでなく、多くの人がそうだと思っている)のは、アルトゥーロは恩赦により許され、エルヴィーラとめでたく結ばれる、というものだが、このプロダクションでは、アルトゥーロは許されず、処刑され、首をはねられるというものだった。
 
これって、エディションとかヴァージョンの結果なのか?
それとも演出家ホモキの独断解釈か?
 
分からんが、もしホモキ解釈なら、それはちょっとやりすぎじゃね?