ベートーヴェン ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲
例えばスポーツ選手など、海外で活躍している「日本人」を見ると、純粋に同じ「日本人」として嬉しく誇らしく思えることがある。多くの人が抱く、ある意味当然の気持ちだろう。
だが、この人の活躍に関して言えば、少なくとも私はそうした思いや感情を抱くことはない。もはや「日本人」という枠を完全に超越し、「一人の芸術家として、ただ偉大」としか思えぬ孤高の存在。それが内田光子である。
だから、このたび高松宮記念世界文化賞音楽部門を受賞されたというニュースを聞いても、「日本人が選ばれた」という感覚はない。過去に受賞されているピアニスト、ポリーニ、アルゲリッチ、バレンボイム、ブレンデルといった偉大なる列伝に、もう一人ピアニストが加わった、ただそれだけの印象だ。
彼女の音楽は、とにかく「深い」。作品に真摯に向き合い、どこまでも追求していく過程がピアノから聞こえてくる。なにげないリズムだったり、即興的な閃きのように聞こえたりする部分も、実はすべてが考え抜かれている。
ただし、昔に比べると、スタイルは少し変わったような気がする。
昔はあまりにも音楽に没入し、全身全霊の表現力に過多な所があったと思う。今は、集中力は依然として高度でありながら、もう少し俯瞰的であり、客観的であり、冷静になったような気がする。あくまでも印象だが。
そんな彼女が今回プログラムに「ディアベッリ」を選んだのは、個人的にとても興味深い。
というのも、ディアベッリは、一連のソナタに内在する「端正」「厳か」「真面目」「崇高」といったイメージからはかけ離れていて、堂々と真正面からぶつかろうとするとスルリとかわされてしまいそうな、一筋縄ではいかない作品と思えるからだ。そうした厄介な作品を、堂々真正面からぶつかっていくイメージそのものの内田さんが採り上げたというのが、少々意外。
しかし、内田さんは見事に手玉に取った。
いとも簡単にものにしたのだろうか。それとも苦労しながら十分に時間をかけ、手のひらに収まるまで忍耐強く取り組んだのだろうか。