クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

カウフマンを聴きながら思う

 ミューザ川崎シンフォニーホールで行われた歌曲リサイタル。会場に入ると、大きく目立つ空席。集客力のあるサントリーホールでも相当の空席があったと聞いた。
 はっはっは。ざまーみろっての。期待してチケットを買ったファンを袖にし、平気でキャンセルしまくるキサマを、日本のファンはしっかり審判下しているわけだ。
 
・・と言いたいところだが、事はそう簡単に片付けられない。
「バカにするんじゃねーぞ、てめー。」といってそっぽを向いた愛好家は実はほんの一部。本当は「あのJ・カウフマンが日本に来るの?それじゃ行く~!」という絶対人数が基本的にそれほどいないということなんだと思う。もちろん、チケット代が高いというのもあるが。
 
 欧米、特にドイツやオーストリアではチケットが買えないほどの事態が起こるのに、なぜ日本ではそうならないのか。
 これはつまり、オペラ芸術が文化として根付いているかどうか、クラシック音楽が広く認められ、成熟しているかという核心的な問題である。
 おそらく、あくまでもおそらくだが、ドイツやオーストリアでは、クラシック音楽にまったく興味が無い人でも「ヨナス・カウフマン? ああ、名前だけなら聞いたことがあるよ。確か歌手だったよね?」みたいな答えが返ってくるのではなかろうか。
 つまり、カウフマンはあっちではスポーツ選手や人気俳優とまでは行かなくとも、それに近い格付けなのだ。向こうでテレビを付けていたら、番組に彼が出ていた、あるいはニュースに採り上げられていた、そうした事を私は何度となく目の当たりにしている。
 要するに、クラシック界を越えて幅広く認知されているスーパースターなのだ。逆に言うと、どちらかというとマイナーなクラシック音楽界であっても、傑出した人材であれば、そうした扱いを受ける素地があっちにはあるのだ。
 
翻って、日本にはそうした素地があるのか?
頭を抱えてしまう。
あえて言えば、たった一人だけ日本にそれに近い人がいる。小澤征爾だ。
だがそれ以外は?
辻井伸行くん?笑わせるなって。
 
 外来の演奏家が日本のマスコミなどからインタビューを受けた記事を読むと、よくこういう発言を目にする。
「日本のお客さんは素晴らしい。欧州よりも格段に素晴らしい。なぜなら音楽を理解し、熱心に聴いてくれるからだ。」
 これは、我々にとって嬉しい、自尊心をくすぐってくれるような発言だ。そして、それは私自身が海外で鑑賞して現地の客と比較し、薄々感じることでもある。つまりまあ、ある程度は正しい。
 
 だが、半分はリップサービスである。
 おそらく外来演奏家は、日本におけるクラシック音楽の成熟度がどれほどのものなのか、国民にオペラ芸術が根付いているのかどうか、言われなくても肌で感じているはずだ。
 
 日本で即日完売となるクラシック公演はたったの三つしか無い。ベルリン・フィルウィーン・フィル小澤征爾。これだけ。残念ながら。カウフマンもネトレプコも完売しない。来日演奏家がいくらリップサービスを口上しても、本場の人たちにこうした状況を分析されたら、こちらはグーの音も出なくなってしまうのではないか。
 
空席の目立った客席を見渡して、カウフマンはいったい何を思ったであろうか・・・。
一階席最前列に陣取った一部の熱狂的女性ファンと、実力を正当評価出来るごくごく一部の人間だけが発する熱視線を、彼はどのように受け取ったであろうか・・・。