クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2015/5/2 モーゼとアロン

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2015年5月2日  ベルリン・コーミッシェ・オーパ
指揮  ウラディーミル・ユロフスキ
演出  バリー・コスキー
ロバート・ヘイワード(モーゼ)、ジョン・ダスザック(アロン)、ユリア・ギーベル(若い女)、カロリーナ・グモス(病人)、マイケル・スモールウッド(若い男)、トム・エリック・リー(エフライムの徒)   他
 
 
 コーミッシェ。ベルリンでは「三番目の歌劇場」という位置付けだが、いやいや、決して侮るなかれ。天才指揮者K・ペトレンコが巣立っている。彼はここで才能を開花させた。
 
 そしてもう一人、ここから世界への飛翔を掴んだと言っていい俊英指揮者がいる。この日の指揮者V・ユロフスキだ。グラインドボーン音楽祭やロンドンフィルの音楽監督など、英国で活躍する指揮者のイメージだが、研鑽を積んだのはドイツ。コーミッシェに客演し、同歌劇場初の「カペルマイスター」の称号を得ている。
 
 今こうして世界的な指揮者に成長してもなお、「ベルリンの三番目」に舞い戻って客演するのは、ひょっとするとオペラのイロハをコーミッシェから教わり、実力を磨いてくれた恩義を感じているからかもしれない。クールなイメージだが、意外と義理人情の厚い男かも。
 
 私はユロフスキが振るオペラを観てみたいとかねがね思っていた。今のところ、日本で彼の勇姿を拝める機会はない。評判を確かめるには、出掛けなければならないのだ。
 ということで今回、念願が実現して本当に嬉しかった。(過去にウラディーミルだと思って公演チケットを買ったら、弟のディミトリだったという笑える実話があったくらい。)
 しかも演目は今世紀最高のオペラ作品の一つ、モーゼとアロン。これは必聴である。
 
 ピットの中にいる彼のタクトを注視する。とてもエレガントである。若いのに、力みが皆無。余裕である。こんなに難しい曲なのに。
 それでいて、出てくる音はかなり激烈でインパクトがある。ということは、引き出す能力がずば抜けているということだろう。もちろん、シェーンベルクの音楽が激烈そのものというのもあるが。
 
 演出は同歌劇場のインテンダント、コスキー。こ奴は実にクセ者で、時々呆れるくらい「はぁ???」みたいなことをやらかすが、今回は変則手法を採らず、かなり真正面から取り組んでいることが伺えた。
 
 ポイントは二つ。
 まず一つ、モーゼとアロンの兄弟を、預言者ではなく二流の(?)手品師に置き換えたこと。ということはつまり、この二人はペテン師ということになる。
 だが、たとえペテン師であっても、中には信じる人間、付いていく人間が少なからずいる。それが少しずつ広がり、やがて大きな扇動に増幅する。世間というのはかくも騙されやすく、導かれやすく、そして流されやすいのである。
 
 もう一つ。このオペラの影の主役と言われる群衆。扇動によって動いていく巨大なダイナミズムに圧倒される。簡単に言ってしまうと、一人ひとりの力は小さいが、それが集まると手に負えないほどのエネルギーが発生するということだ。
 
 異なるアプローチとして思い出されるのが、ベルリン州立歌劇場来日公演。この時の演出家ムスバッハは、最初から群衆に同じ衣装、同じメイクを施して個々を廃し、一つの塊として扱ったのが特徴だった。
 今回のコスキーは正反対。一人ひとりは個性のある良識的な人間。これがひとたび集団になると異常とも言えるエネルギーが働いて、特異な群衆行動と化すことを詳らかにする。
 この手法が効果絶大。あたかもマスゲームのようにパワフルな合唱団の集団演技がひたすら圧巻だった。
 
 全体として、とびきり上等の名演!お見事!
 
 しつこく言って申し訳ないが、格式や予算規模では確かに「三番目」かもしれない。だがそれでも、このように尖った舞台を創出する。これこそがコーミッシェの底力だ。もっと言うと、これがドイツの劇場の底力だ。
 同じように予算縮減に喘ぐ我らが新国立劇場に、こうした反骨精神は存在するのか?? 劇場として生き残りたかったら、取るべき道は、敷居を下げて薄っぺらい公演ラインナップを作ることではなく、個性ある独自路線を模索することではないのか??