2015年2月8日 新国立劇場
J・シュトラウス こうもり
指揮 アルフレッド・エシュヴェ
演出 ハインツ・ツェドニック
アドリアン・エレート(アイゼンシュタイン)、アレクサンドラ・ラインプレヒト(ロザリンデ)、ホルスト・ラムネク(フランク)、マヌエラ・レオンハルツベルガー(オルロフスキー)、村上公太(アルフレード)、クレメンス・ザンダー(ファルケ)、ジェニファー・オローリン(アデーレ) 他
どうもいまいちテンションが上がらない公演だった。なんつうか、まったりしているというか、ぬるいというか・・・。
指揮者はこの手のスペシャリスト。歌手だって盤石布陣。芸達者なキャストが揃った。
にもかかわらず、ぬるいと感じてしまったのはなぜだろう。
「そりゃオペレッタなんだから当然でしょ」と片付けてしまうのは簡単だが、他にも思い当たるふしがある。
まず、音楽を統率する指揮者の問題。
ウィーン・フォルクス・オーパーを中心に活躍するエシュヴェ。ツボを押さえた万全のタクトだったと思う。手際の良さも十分伺えた。
彼自身数えきれないくらい振っているはずだし、作品を隅々まで知り尽くしている大ベテランだ。エシュヴェが振るのならハズレはなし。誰もが「大丈夫、間違いない」と思う。
そうした安心感や手堅さ、無難さが‘まったり’現象を生んでしまったということはないか。もしそうだとしたら、ちょっとした逆効果である。
次に、客席側の問題。
歌あり、踊りあり、笑いありの上演に、完全にリラックスモード。「楽しければ、すべてオッケー」の雰囲気が出来上がってしまっている。「音楽を聴く」ではなく、「お芝居を観る」になっちゃっている。そうした会場全体の空気が、音楽を聴こうとしている私の態勢に少なからずの影響を及ぼした気がする。
そして、最大の問題。
展開が完全に読めちゃっていること。これはヤバい。もはやどうしようもないことなのだが、ヤバい。
オペレッタ全般に言えることだが、そこに滑稽、ギャグが含まれている場合、何が起こり、どういうやりとりが交わされ、どうやって笑わせるかが予め分かっていたら、面白いわけがない。ネタを最初から知っていて、そのとおりの展開で、「はい、ここ笑ってください」と押し付けられても、興ざめなだけだ。
会場のお客さんの中には、純粋に面白くて笑っている人がいる一方、「ここは笑うところだ。笑わなければならない。お約束だ。」ということで笑っている人が少なからずいる。あんた、本当に面白いのか?
ついでに言っちゃうと、外国人キャストに日本語セリフを言わせて笑わせるのは確かに効果的だが、だからといって何度も何度もやられると飽きる。しつこい。
あたしゃ思ったよ。こうもりは同じ演出で何度も観るべきじゃないね。(ちなみに私は新国立のこの演出版は今回で3度目) こうもりやるんだったら、毎回毎回新演出にしてほしいね。(そんな無茶な(笑))
海外でも何度となく観ているけど、セリフの部分やギャグは結構自由に変えてやっているような気がする。(もちろん、何を言っているのか分からないのだが。)