クラシック、オペラの粋を極める!

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2014/11/8 新日本フィル

 
 
 音色、響き、音量、奏法、ニュアンス、こうしたディティールにトコトンこだわったアプローチ。出てくる音を聴けば、「あ、ハーディング、いじってきたな」ということがすぐに分かって、それがとてもこの指揮者らしく、思わずニヤリとしてしまう。きっと緻密なリハーサルをしているんだろうなと想像する。
 
 一般的にブルックナーというと、堅実で重厚、トーンはモノラルという感じだが、ハーディングの場合は理路整然、繊細かつクリア、色合いの変幻という印象で、ある意味既存のイメージにない斬新さがとても耳に心地よい。豪壮な場面でも力強さを全面に押し出さず、万全にコントロールされた内向的なブルックナーだ。
 
 それはそれで良い。これがハーディングの音楽なのだ。ハーディングはハーディングであり、その持ち味をこれからも追求し、発揮してほしいと思う。
 
 問題は、オケだ。
 
 このところ、日本のオーケストラがカリスマ指揮者のタクトによって劇的な変化が生じ、見違えるような演奏に立ち会う機会が続いた。N響、読響、そして日本フィル・・・。
 これらの見事な結実に共通していたのは、指揮者が変えたというより、オケが指揮者にどこまでも付いて行く、この指揮者となら心中してもいい、という決意を堂々と自ら示したことだった。
 
 次は新日本フィルの番、のはずだった。
 指揮者はハーディング。新日本フィルはこの若くて優秀な指揮者と強固な絆で結ばれている。オケの方もこの指揮者にある種の命運を託しているはず。
 それが証拠に、新日本フィルはメッツマッハーと契約更新をしなかった。ハーディングとのコンビを選択したのだ。ハーディングの契約更新に全力を注ぎ、そしてこれに成功したのだ。
 
 だというのに、演奏からはどういうわけか「誰が何と言おうと、この指揮者に付いて行く」という意欲、気概、覚悟が感じられなかった。ハーディングのタクトに喰らいつき、ググッと引き寄せられるかのような吸引力が感じられなかった。
 演奏技術やクオリティも、まあいつもの新日本フィルである。今回の演奏で、確かにハーディングの解釈は聞こえたが、ハーディングとのコラボによる化学反応はついに起きなかった。
 
いったいなぜ?
N響、読響、日本フィルは出来た。彼らは成し遂げた。
新日本フィルだって、やれば出来るはずなのだ。特に今回はそのチャンスだった。契約更新を大々的に発表したのだから。
 
それだけに、何か煮え切らない思いが拭えなかったコンサートだった。