クラシック、オペラの粋を極める!

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2014/10/31 兵士たち(軍人たち)

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2014年10月31日   バイエルン州立歌劇場
ツィンマーマン  兵士たち(軍人たち)
演出  アンドレアス・クリーゲンブルク
バーバラ・ハンニガン(マリー)、クリストフ・シュテフィンガー(ヴェーゼナー)、オッカ・フォン・デア・ダメラウ(シャルロッテ)、ハンナ・シュヴァルツ(ヴェーゼナーの母)、ミヒャエル・ナジー(シュトルツィウス)、エンドリック・ヴォトリッヒ(デスポルト)、ケヴィン・コナーズ(ピルツェル)、クリスティアン・リーガー(アイゼンハルト)    他
 
 
 これまでの人生でかなりのオペラを観てきたつもり。強烈なインパクトを受けた公演も数知れずだ。
 しかし、これほどまでに度肝を抜かれた経験はあまり記憶にない。おそらく五指にも満たないだろう。雷に打たれたかのような衝撃。吃驚仰天、息もできないほどだった。
 初めて生で聴いたツィンマーマンのオペラの威力は想像を絶した。この作品、危険極まりない。はっきり言ってヤバすぎる。
 
 とにかく、叫び声、悲鳴、喘ぎ、呻きがそのまま音楽になっている。人間がその人間性を全否定された時、人格が微塵に砕かれた時、全うであるはずの人生が運命によってどん底に突き落とされた時、見るも無残な絶望が待ち構えている。思わず目を背たくなる瞬間、つんざくような不協和音が槍と化して襲ってくる。耳を塞いでも容赦なく聴覚器を突き抜け、脳神経を直撃し、痛めつける。ああ恐ろしい、なんて恐ろしいのだ!
 
 とか言いつつ、この恐怖体験を味わいたくてはるばるミュンヘンに馳せ参じたわけであるが・・・。
 
 スコアをパラパラとめくれば、錯綜羅列されている音符の洪水に、きっと目を回して気絶してしまうだろう。あるいは、どのように発音するのかさえ理解不能キリル文字アラビア文字を眼前にしたように、呆然と口を開けたままギブアップしてしまうか・・・。
 そうした複雑怪奇な記号をいとも簡単に解読し、音へと変換させてしまう指揮者の頭の中はいったいどういう構造をしているのであろうか。バイエルン州立歌劇場音楽監督ペトレンコは、悪戦苦闘の様子など微塵もなく、涼しい顔で淡々とタクトを振っている。このロシア人、やはり只者ではない。
 
 しかもただ音に変換しているだけではない。出てきた音に色を加え、濃淡を加え、止め、動かし、行き先を告げている。一見(一聴)するとバラバラに弾け飛んでいる音が、気が付けばひとつの方向に収集していく。
 ペトレンコはいったい何を試みているのか。
 答えは一目瞭然。音楽を作ろうとしている。現代音楽にありがちな即物的効果音ではなく、音楽によって人間の感情が揺れ動くドラマに仕立てようとしている。
 そうやって見えてきたのは、歯車の狂った閉鎖社会の不条理と、犠牲になった人間の悲劇である。ペトレンコが目指していたのは、まさしくそうしたドラマ。ツィンマーマンの兵士たちは現代音楽ではなかった。音楽だった。そしてドラマだった。その結論に導いてくれたのがペトレンコだったというわけだ。
 
 会場には、私と同様にこうした不協和音が炸裂する現代音楽が苦手な人も少なくなかったはず。だが結果的に、音楽が生み出したドラマのいたたまれなさに、多くの人が心をえぐられたことだろう。その衝撃を創り出した張本人が他ならぬ指揮者だったこともすぐに理解できたはずだ。
 それが証拠に、カーテンコールで爆発的な喝采を受けたのは、演じていた歌手ではなく、指揮者ペトレンコだった。
 
 聞くところによると、オペラの権威であるドイツの雑誌「オペルン・ヴェルト」で、昨年度の最優秀指揮者にこのK・ペトレンコが選ばれたという。その選出理由となった公演こそ、バイエルン州立歌劇場の「兵士たち」だった。
 
 つまり、そういうことだったのだ。
 
 本公演について語るに、以上の音楽面の感想だけで十分だと思うが、いちおう演出と歌手についても簡単に書いておく。
 
 クリーゲンブルクは、この物語に潜む社会の閉塞性、阻害された人間関係の狂気を、そのまま舞台に具現化させるための装置を作った。それが十字に組まれたボックスの部屋だ。これが舞台を蹂躙し客席に迫るかのように前の方に移動してくる。ものすごい圧迫感、威圧感があるが、それが狙いだったことは明らかで、効果的だった。
 人物への一つ一つの演技振付は非常に細かい。
 感心したのは、こうした装置や演技が見事に音楽にマッチしていることで、おそらく相当入念にこの作品を研究したに違いない。プレミエの際には指揮者とも細かく協議を重ねたのだろう。その成果は十分に出ていた。大成功である。
 
 歌手たちのレベルも総じて高く、しかも皆、演出と音楽にものすごく忠実だった。主役を歌ったハンニガンに最も大きな拍手が寄せられていたが、それは単に主役だったから。代表して喝采を受け取り、称賛は出演者全員に均等に分け与えられるべきだと思った。