クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2014/8/17 ウェスト・イースタン・ディヴァン管

2014年8月17日   ウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラ(ルツェルン音楽祭)
カルチャー・コングレス・センター コンサートホール
A・アドラー  Resonating Sounds for large orchestra
K・ルーストム  Ramal for orchestra
ワーグナー  トリスタンとイゾルデ第2幕 演奏会形式上演
ペーター・ザイフェルト(トリスタン)、ワルトラウト・マイヤー(イゾルデ)、エカテリーナ・グバノヴァ(ブランゲーネ)、ルネ・パーペ(マルケ王)、シュテファン・リュガメル(メロート)
 
 
 指揮者が登場する前、ステージにフェスティバルの総裁らしき人物がマイクを持って現れた。開演前の不吉なアナウンスメントである。出演者のうち誰かが急遽キャンセルになってしまったのであろうか。だとしたら、まこと穏やかではない事態の発生である。
 総裁は観客に向かってこう告げた。
「えー、本日前半のプログラム、都合により一曲目と二曲目の演奏順序を入れ替えます。元々二曲目の◯◯を最初に演奏して、次に・・・」
 
「ぷっっ・・・」
思わず吹き出してしまった。
はっきり言ってどうでもいい。どっちが先でも同じ。両方とも誰も知らねえ。だからどっちを先に演奏しようが誰も気に留めねえ。何ならいっそのこと演奏取り止めても構わないぜ。むしろそっちの方がありがたいこった・・・。
 
 昨年のザルツでもWEDOの公演を聴いたが、その時もわけのわからない現代曲を聴かされて閉口した。今年もまた現代曲だ。やれやれ、まったく。
 
 御大バレンボイムからすれば、オーケストラ活動を通じたイスラエルパレスチナの文化交流だけでなく、この地域出身の作曲家も併せて積極支援したい魂胆だろう。
 だが、私にとってはありがた迷惑。なぜなら私は現代音楽が嫌いだから。リズムとメロディをわざと喪失させ、新しい響きの開発にご執心の現代作曲家の自己満足に付き合わされるのが嫌いだから。
 
 反論を恐れずに思い切り言ってしまうが、現代音楽は音楽じゃない。あれは単なる“効果音”だ。
 
 効果音じゃなくて音楽を聴きたい私は、故に、無視を決め込む。拍手もしない。拍手が欲しけりゃ、ちゃんとしたリズムと美しいメロディを使って新たな音楽を開拓してみろ。やれるもんならやってみな。
(拍手をしないのは演奏者に対して敬意を欠くという懸念は大いに自覚している。そのとおりである。でもしない。わりいけど。)
 
 
気持ちを入れ替えてさあ次、トリスタンとイゾルデ。ここからが本当の音楽の始まりである。
 
 舞台に登場したP・ザイフェルトを見て、目がテンになった。銀髪、貫禄の出っ腹、いかにも老眼鏡のような冴えない黒縁メガネ・・・。
「ザイフェルト、老けたなあ・・・。」
 
 彼が出演する公演の観賞は久しぶりだった。帰国してから調べてみたら、9年ぶりのことだった。9年ぶりに見たそのお姿は年月を感じさせるものだった。
 ちょっとショックだったが、でも大らかに受け入れなければいけない。歳を取るのは誰にも平等。自分だって9年前の自分とは打って変わっているのだ。
 
 安堵したのは、老けたのは見た目だけで、肝心の歌は十分に素晴らしかったこと。
 いや、「素晴らしかった」というのは、印象として少々ニュアンスが違うし、言葉足らずかもしれない。イゾルデのマイヤーと併せ、それぞれが円熟の境地に達した悟りのワーグナーだった。
 今の彼らだからこそ表現可能な心情がある。今の彼らにしか出来ない歌唱技術がある。そこにあるのは若者同士の愛の賛歌ではない。夜の闇を欲し、現世にはもはや自分たちの居場所がなく、そこに希望を見出すことが出来ないという絶望の嘆きである。
 
 トリスタンが望んでいたのは何だったのか、イゾルデの憧れとは何だったのか、渇望の末に二人が覗いた世界は何だったのか。ザイフェルトもマイヤーも、遥か遠方をじっと見つめながらトリスタンとイゾルデの苦悩を語っている。
 私は、役と完全同化した二人の姿を食い入るように見つめ、その告白を漏らさずに聴いた。少しでも集中を失うと、彼らの芸術の真髄が一瞬にして理解不能に陥りそうな気配だった。
 
 闇に落ちていくかのような二人の掛け合いに引っ張られるかのような、マルケ王パーペの深い悲しみの歌。その表情はどこまでも煩悶に満ちている。
 
久々に実感した。忘れていた。このオペラは悲劇だったのだ。
 
 全体を統率したバレンボイムはさすがだった。彼が創出したオーケストラの音色は、漆のように黒くて艶のある輝きだった。更には、ここぞという所でのうねり、高鳴り、そして爆発力。烈火のごとく大胆なタクトである。
 近年ワーグナーの第一人者の地位をティーレマンに譲った感のあるバレンボイムだが、今なお狷介孤高の存在であることをまざまざと証明した。
 
 
P.S
私の数列前の席にザイフェルトの奥様シュニッツァーがいた。ド派手な洋服で目立っていた。
それからポリーニのお姿も。彼もこの音楽祭の出演者である。ザイフェルトも老けたが、ポリーニはもうすっかりお爺ちゃんって感じだった(笑)。