クラシック、オペラの粋を極める!

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高校球児諸君へ

 今年もまた夏の高校野球甲子園大会が開幕した。
 最初に断っておくと、スポーツ観戦という意味において、私はこの大会にまったく興味が無い。たかが高校生の大会である。なんでこんな国民的一大イベントになってしまうのか、俺にはさっぱりわからん。技術的に未熟で、凡ゴロ打球さえも「エラーするんじゃないか」とハラハラするし、そうしたエラーや四球で勝負が決まってしまうことが多々あるし。
 
 もっとも、やってる当の本人たちを除く大人の高校野球好き連中は、そうした未熟さと危うさの同居性も、これまた魅力の一つだと思っているのだろう。
 更には、一球に懸けるひたむきさ、負けたら終わりのスリリングさ、あどけない若者の汗と涙の爽やかさなどが「青春」という一言に置き換えられ、完全集約されて、ゾクゾクしてたまらないというわけだ。
 
 あとは、オラが郷土代表への夢託しか。
 そこら辺は4年に一度沸き起こる「頑張れニッポン」ムーブメントに似ているな。郷土愛・祖国愛という名の下で自分が何かに属していることの安心感に浸り、応援する自分に酔い、勝ってもらって自分が気持ち良くなりたいという自己満足。ああ嫌だ。
 
 そうした大人の自己満足のために、正気の沙汰とは思えない炎天下での過酷な運動を強いられる高校生はまったくもって気の毒だと思うのだが、当の高校生はもちろん「大人のために」なんて意識は毛頭なく、自分たちが気の毒だとはこれっぽちも思っていない。
 つい先日、身体の負担軽減を目的としてタイブレーク方式導入の検討がニュースに出たが、これに対して高校球児は100%否定意見だそうな。
 やれやれ、これではいつになっても諸問題が解決されることはない。もはや手の施しようがないのである。
 
 ということで、今さら私が何を言っても仕方がないのだが、どうしても一つ「なんとかならんかのう」と思っていることがあるので、それを書きたい。これは高校球児諸君への問題意識の投げかけだ。
 
 何かというと、開会式の選手入場の一糸乱れぬイッチニィ・イッチニィ軍隊行進である。
 これこそ大人による管理押し付けの最たるものだ。もしあれを高校生に対する正当なしつけだと思っているヤツは、某独裁国家の国民統制を批判する資格はない。あれが高校生としての正しい姿だと思っているのなら、勘違いも甚だしい。
 
 高校生は確かに大人ではないかもしれない。だが、自ら考え、判断し、工夫し、選択できる力を持っている。高校生として相応しい、自分たちの自分たちによる自分たちのためのセレモニーを創造する力を持っている。
 にもかかわらず、大人がそれを否定し、一方的に押し付けているのだ。あんな物はルールでも何でもない。個性を殺し、一律全体を重視している何よりの証拠だ。
 
 この理不尽さについて、どうして誰も異議を唱えないのか??
 
 私は夢を見る。希望を抱く。いつか、いつか、高校生たちが独自の判断で、自分たちらしさとは何かを考え、自分たちらしさを前面に打ち出し、強制的な軍隊行進を拒絶し、オリンピックの入場行進のようにスタンドに手を振りながら、笑顔で思い思いに歩くことを提案し、仲間で話し合い、勇気を振り絞って実行する代表校が出現することを。
 
 高校球児よ。大会を自分たちの手に取り戻せ。革命を起こせ。一時的な批判を浴びるかもしれない。でも必ずや一石を投じることになる。そして後に続く代表校は必ず現れる。歴史を切り開くチャンスだぞ!