クラシック、オペラの粋を極める!

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2014/5/17 新国立 カヴァレリア・ルスティカーナ、道化師

2014年5月17日   新国立劇場
マスカーニ  カヴァレリア・ルスティカーナ
レオンカヴァッロ  道化師
指揮  レナート・パルンボ
演出  ジルベール・デフロ
ルクレシア・ガルシア(サントゥッツァ)、谷口睦美(ローラ)、ヴァルテル・フラッカーロ(トゥリッドゥ)、成田博之(アルフィオ)、グスターヴォ・ポルタ(カニオ)、ラケーレ・スターニシ(ネッダ)、ヴィットリオ・ヴィテッリ(トニオ)、吉田浩之(ベッペ)   他
 
 
 幕が開くと、そこは古代遺跡となっている野外劇場の広場。抽象的ではなく、石造りや草木などをリアリズムで本物のように再現した美しい装置。
 カヴァレリアの舞台はシチリア島。古い遺跡があちこちに残っていて、この島を訪れると、こうした場所に頻繁に遭遇する。どこかで見たことあるような、何となく懐かしい光景である。
 
 一方でこのオペラ上演の際、大抵において設定される教会前広場は跡形もない。ミサに行く場面や賛美歌を歌う場面があるにもかかわらず、である。演出家が単なる写実的なものを目指しているのではなく、物語の象徴として何を捉えるかという観点から生まれた舞台と言ってよさそうだ。
 それが証拠に、遺跡にはちゃんと意味が備わっている。すぐに気が付く方もいらっしゃると思うが、つまりそれは「舞台」なのである。石造りの段は客席。トゥリッドゥとサントゥッツァ、それからアルフィオとローラの四角関係によるドロドロの愛憎劇は、すなわちそれそのものが「見せ物」というわけ。そして、それは次の演目「道化師」においても何ら変わりがない。(むしろ、より一層興行的要素が鮮明となっていく。)
 それこそが二つの異なる演目、物語に関連性を見い出し、通し上演として成立させるために演出家が下したテーマというわけだ。
 
 観客は村人。カヴァレリアでは特に棒立ちで歌うシーンが多かったが、真ん中でドラマを演じる主人公の「動」と対比させるための「静」であったと解釈すれば、それも納得がいく。
 同時に、石段は合唱におけるひな壇の役目を果たし、音楽面にも貢献している。
 
 こうした演出上の「静」と「ひな壇」を巧みに利用して指揮者パルンボ(あるいは合唱指揮者三澤さん)が創りだした合唱の静謐かつ敬虔な響きの何と美しかったことか。思わず息を呑むほどであった。そしてマスカーニの優しいメロディーが胸を打つ。私なんかはもう、「これは神が作った奇跡の音楽ではないか」と称えてしまうのである。
 
 パルンボは、合唱だけでなく、オーケストラにおいても、時々はっとさせるような美の瞬間を何度も作り上げていた。パルンボだから出来る独自の世界。彼こそはイタリア・オペラの叩き上げ職人指揮者。作品を完全に把握し、ドラマと音楽を美しく融合させることにかけては超一級。しかも味付けは天下一品である。
 
 個々の歌手について寸評することは出来なくもないが、少なくともこの二つのオペラに関して言えばあまり重要なこととは思わない。ヴェリズモ・オペラにおいては、ドラマこそが主役。そのドラマに少なからずの役割りを果たしていたのであれば、それで良し。観ている人がドラマに集中することが出来たならば、それでOK。
 
 だからヴェリズモ・オペラはあまり好きでない、苦手だ、という人も多いと聞く。
 私はと言えば「まあまあ、固いこと言わずにドラマを楽しもうや」といったところだ。痴話喧嘩、面白いじゃないすか(笑)。