指揮 マレク・ヤノフスキ
ブルックナーの音楽は、どことなく歌舞伎に相通じるものがあるような気がする。
独特の「型」がある。
「動」と「静」、そして「止」がある。
あたかも見得を切るかのような、‘決め’のモチーフがある。
・・・などである。
歌舞伎の常連客は、歌舞伎のこうしたパターンを熟知し、楽しみにしていて、そうした場面では「待ってました!」とばかりに屋号の掛け声を飛ばす。
ブルックナーの場合もまさに同様で、多くのブル愛好家は、音楽の中から彼の独特の決め事とパターンを見い出し、それを楽しんでいるのである。
ところが、今回のN響ではとんでもないことになった。
あろうことか、指揮者ヤノフスキは、こうしたブルックナー独特のパターンを解体してしまったのである。
基本的にヤノフスキは、立ち止まろうとしないし、決めようとしない。歌舞伎では見得を切る時、間を置き、時間をかけながらポーズを作ろうとするのだが、そうしない。「よし、ここだ!」というところで、サクサクと行かれてしまう。主題の再現部や壮大なコラールの場面で、華やかな頂点を構築しようとしない。だから「あれれ~??」という感じなのだ。
たまたまそういう演奏に陥ってしまったのなら、まだいい。
「まったく、しょうもねえなあ・・・」とつぶやけばいいのだから。
だが今回の場合、明らかに指揮者がそういうふうに持っていっているので、厄介だ。
なぜなら、聴き手がこれをどう受け止められるかを試されるようなものだから。
とりあえず私は、「うーむ、1曲聴いただけではわからぬ。来年に来日が予定されているベルリン放響との公演でブル8を演奏するので、とりあえずそこで改めて確かめてみよう」と逃げることにした。