2013年12月8日 イーヴォ・ポゴレリッチ・ピアノリサイタル サントリーホール
このピアニストについて語る時、常軌を逸したと言えるほど極端に遅いテンポが常に第一に指摘される。私自身もその遅さは「異様、異常、地獄のよう」だと感じるし、まるで悪魔に魂を売った演奏ではないかとさえ思う。
だが、もうそろそろ彼の演奏をテンポの問題だけで片付けてしまうのはやめにしたい。
初めてポゴレリッチの演奏を聴いた人がびっくり仰天してそのように言い表すのは良い。だが、私は何度も聴いていて、それが彼のピアニズムであり、孤高とも言える独自の世界であることを知っている。単なる思いつきやウケ狙いではなく、ピアノ演奏を極めに極めた末に辿り着いた結論であることを知っている。
もし今回のベートーヴェンプログラムを聴いて「熱情の第2楽章はめちゃくちゃ遅かった」などといったいかにも表面的で陳腐な感想しか出てこないようでは、自分としてはクラシックマニアとして失格だ。顔を洗って出直してこなければならない。
要するに、テンポの早い遅いは、彼の音楽観においてまったく本質ではないのである。おそらく彼の頭の中に「アレグロはこれくらいの速さ」「モデラートはこれくらいの速さ」といったメトロノームのような尺度は存在していないはずである。
ではポゴレリッチの着眼点や関心はいったい何なのであろうか。
もちろん単なる推測でしかないが、彼が全神経を集中させて見つめているのは「音符と音符のつながり」「右手と左手の相互連関」「音符と休符の間にあるもの」「和声や対位法」といった音楽の構造、それからそうした音符を並べ立てた作曲家の真意の探求、この二つではないだろうか。彼の演奏を聴いていると、そうとしか思えない。
ポゴレリッチの音色はモノクロームで冷たい。それは、彼がこのように楽譜に書かれた音楽の構造をロジカルに分析した結果ゆえだと思う。ある意味とても数学的であり、情緒的な温かさとは対極をなしている。
それでいて、その音は決して無機質に陥らない。それはやはり作曲家に思いを馳せているからだろう。なぜ作曲家はこの音を選択したのか、なぜ作曲家はここに休符を与えているのか、この曲を作りながら作曲家は何を考えたのか・・・。
今回のポゴレリッチのベートーヴェンは、一つの曲を完成させるまでに作曲家がどれほどもがき苦しみ、悪戦苦闘し、試行錯誤を繰り返しながら五線紙に向き合っているかという真相をつまびらかにしているかのような演奏に聞こえた。
それはそれで非常に興味深いところである。