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2013/11/13 ウィーン・フィル2

指揮・ピアノ  ルドルフ・ブッフビンダー
ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第1番、第5番皇帝
 
 
 ブッフビンダーは、自分がソロを弾く以外の部分では指揮をしていた。ピアニストの弾き振りによるコンチェルト演奏では、当たり前のことである。
 だが、この公演に限って言えば、いらなかった。振る必要がないのだ。そんなことをしなくても、オーケストラはぴったり合わせてくれる。だって、ウィーン・フィルなんだから。
 
 そうなると、ブッフビンダーの指揮は、音楽をリードするというよりウィーン・フィルの演奏に合わせて気持よく手を降っているようにも見える。
 まあそうしたくなる気持ちは分かる。オレも自宅のオーディオの前で、音楽に合わせて思わず振ってしまうことがあるからさ。
 え? 一流ピアニストとド素人を一緒にするなって?  そりゃそうだな、はっはっは。
 
 冗談はさておき、ブッフビンダーとウィーン・フィルによるベートーヴェンのコンチェルトは、最高のコラボレーションだった。ピアノ協奏曲だったが、聞こえてきたのはソリストの演奏ではなく、ベートーヴェンの音楽だった。ベートーヴェンを聴いたという満足感に満ち溢れた演奏だった。
 
 なぜそのような幸せな結果が得られたかと言えば、両者に「ソロと伴奏」という主従関係が存在せず、お互い献身的に音を聞き合って一つの音楽を作り上げようという姿勢が伺えたから。
 こういうのを「室内楽のような演奏」と言うのだろうね。両者の結びつき、信頼関係は揺るぎがなかった。同郷の相性の良さなのか、何度も共演していて息が合っているのか。まあ両方だろう。
 
 もちろんブッフビンダーは、やろうと思えばソリスティックな演奏だって出来る。ただやらなかっただけ。
 それに気が付いたのは、カーテンコールの後に一人で弾いたアンコール2曲の演奏が、ソリストらしい自己主張を前面に打ち出し、ピアニストとしての本領を発揮していたから。
 
しばしば「ウィーン・フィルに指揮者はいらない」と囁かれる。特にベートーヴェンモーツァルトなどは、邪魔せずにオーケストラに任せればいい。重要なのは指揮者ではなく作品だということ。
 一方で、ティーレマンのように、凄まじいほどの推進力でオーケストラの潜在能力を飛躍的に高めてしまう圧倒的な指揮者も存在する。
 
 今回のベートーヴェン・チクルスは、その両方の楽しみを再発見させてくれる良い機会だったと言えるかもしれない。