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2013/7/13 ドン・ジョヴァンニ

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2013年7月13日  エクサン・プロヴァンス音楽祭  アルシュヴェシェ劇場
演出  ディミートリ・チェルニャコフ
合唱  エストニア・フィルハーモニック室内合唱団
ロッド・ギルフリー(ドン・ジョヴァンニ)、カイル・ケテルセン(レポレッロ)、コスタス・スモリジナス(マゼット)、パウル・グローヴス(ドン・オッターヴィオ)、マリア・ベングッソン(ドンナ・アンナ)、クリスティーネ・オポライス(ドンナ・エルヴィーラ)、アナトーリ・コチェルガ(騎士長)
 
 
 今回のプロダクションはリバイバルである。初お目見えとなった2010年のプレミエの際に公演レポを雑誌記事等で読んでいたため、どんな舞台なのか、ある程度大まかには知っていた。
 にもかかわらず、である。
 実際に見ても、演出の狙いがよく解らない。私の頭の中は終始「???」でいっぱい。最後までモヤモヤの鑑賞になってしまった。これにはまいった。
 
 音楽祭情報をキャッチしている人は既に知っているかもしれないが、念のため説明しておくと、演出家の読替えによって登場人物の人間関係が次のとおりである旨、開演前にクレジットされた。(フランス語と英語によって、幕に役の説明が映しだされていた。)
 
騎士長=一家の主
ドンナ・アンナ=騎士長の娘。バツイチ。
ドン・オッターヴィオ=ドンナ・アンナの新しい婚約者
ドンナ・エルヴィーラ=ドンナ・アンナの従姉妹
ドン・ジョヴァンニ=ドンナ・エルヴィーラの夫
ツェルリーナ=ドンナ・アンナの娘
マゼット=ツェルリーナの婚約者
レポレッロ=騎士長宅の住込人。居候。
 
だってさ・・・。これってどうよ?
ま、いいだろうさ。演出家の読込みに基づく新たな着想なのだから。むしろ、面白そうじゃないか。これからどんな展開が待ち受けているのか。止めどもなく湧いてくる問題を通じて「家族とは何か」を問う橋田壽賀子ドラマがついにオペラ化か?みたいなね(笑)。
 
 なんとなく予想もできる。どうせ、お騒がせ者ドン・ジョヴァンニが幸せな家庭に入って浮気と暴力を繰り返し、やがて家族が崩壊していくってパターンだろ??
 
 ところがどっこい。
 蓋を開けてみると、一見そのようであって、実はそんな単純明快な話ではない。人間関係がもっと複雑に絡み合っている。それぞれがワケあり・意味深な裏事情を抱えているのである。
 
とにかく、わからないことだらけ。
 
 ドン・ジョヴァンニはいったい何者なのか?
 ドンナ・エルヴィーラの夫であることはわかった。だが、彼はこの家族の中でどういう位置づけなのだ?単なる乱入者か?
 だんだんと酒に溺れ、途中からアル中であるかのような振る舞いになったり、自暴自棄になったりするのだが、なぜ??
 その一方で、レポレッロと企む策略では目が覚めたように抜かりがなく狡猾。彼の目的はいったい何なんだ?
 
 レポレッロは何者なのか? 何ゆえにそこに住み込んでいるのだ?
 しかも居候にしては存在感がありすぎる。居候の分際でありながら一家のキーパーソンになっている。本来の役回りである「ドン・ジョヴァンニの従者」とも言い難い。
 ということで、ドン・ジョヴァンニと同じ疑問がつきまとう。彼の目的はいったい何なんだ?
 
 ドンナ・エルヴィーラ。彼女は結局ドン・ジョヴァンニを愛しているのか、それとも愛想を尽かしているのか?破綻なのか仲直りなのか?夫婦という設定だが、結局この夫婦はどこに向かっているのか?さっぱり分からん。
 
 ドンナ・アンナとツェルリーナ。揃ってドン・ジョヴァンニの浮気の対象として巻き込まれ、なおかつ互いにそれを認識しているが、いったいどういう親子関係なんだ? どの面下げて親子の会話をするのだ?
 
 ドン・オッターヴィオは、途中から急に主導権を握ろうとし、ドン・ジョヴァンニへの急先鋒のような態度に打って出るが、突然何がそうさせたのだ?
 
 分からん。解らん。
 
 戸惑いの最大の原因は、チェルニャコフが解釈した物語と元々のオペラの物語が、どこまでが関連し、何が結びついているのか、そこらへんが全然読み取れないこと。
 いや、ひょっとすると関連など全く存在せず、全然関係ない別のストーリーに摩り替わっているのかもしれない。だが、音楽も歌もセリフもオリジナルのままなわけでしょ?そうなると単なる乖離でしかない。
 もしかすると、再演でキャストの大半が変わってしまい、演出コンセプトが十分に染み込まなかったのかもしれないが・・・。
 
いずれにしても、結論。
 
「強引すぎる。こじつけすぎる。無理がありすぎる。」  以上。
 
 
 音楽の話にしよう。
 三年前のプレミエの時は指揮者はルイ・ラングレだった。今回ミンコフスキがタクトを振ったのが大きな話題だ。ミンコは独自の手法を駆使し、現代の洗練されたオーケストラに対して、巧みに古楽的アプローチを吹き込むというスタイルを確立している。これによってロンドン響から、前日のヴェルディとはまったく異なった斬新な音楽を引き出していた。
 
 演出が不可解な分、本当はミンコに救いを求め、音楽だけに集中し、音楽に酔いしれたかったのであるが・・・。人間は聴覚よりも視覚の情報を優先してしまう。
 こういう時、よく「目をつぶって聴けばいい」と言う人もいるが、目の前で演技が繰り広げられているのに、本当にそういうことって出来るの? 残念ながら私はそういう特技は持ち合わせていない。だいいち、目をつぶったら、寝ちゃう。
 
 それぞれの歌手の音楽的評価について、以上の理由により、ちょっと難しい。
 
 カイル・ケテルセンって、そう言えば、ボローニャ歌劇場来日公演のカルメンで、原発事故影響のためキャンセルしたパウロ・ショットに代わって急遽来日し、エスカミーリョを歌ったんだよな。その節はどうもでした。
 
 ロッド・ギルフリーは、ちょっと驚きだ。というのも、私がまだオペラ超初心者だった1989年、ジュネーヴでマノンを観た際レスコーを歌っていた人で、それ以来であった。このマノンは、人生で4回目、海外で2回目というオペラ生鑑賞だった。ちなみに名前は覚えていたが、この時の舞台姿はほとんど忘却の彼方となっている。
 24年ぶりの再会、ご無沙汰です。お元気でしたか?(笑)
 
 
終演は午前1時を回った。信じられん。
みんな、観終わってから食事とか飲みに行きたいとか、そういうのないの?
「翌日はまたいつものとおり仕事なので、早起きしなきゃ」とか、そういう人いないの?
「こんな遅くだと、終電がなくなっちゃって、帰れなくて困るよー」とか、そういう人いないの?
 
 まったく不思議である。
 
 ちなみに私は翌日午前5時半起きで、帰国。南仏のバカンスはあっという間に終わってしまった。
 まあ、ドン・ジョヴァンニはちょっとアレだったが、エレクトラの超名演を観られてよかったよ、うんうん。