クラシック、オペラの粋を極める!

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サヴァリッシュ

名指揮者ヴォルフガング・サヴァリッシュさんがこの世を去られた。

 日本とは切っても切れない特別な絆で結ばれていた指揮者だっただけに、深い悲しみを覚えるファンも多いと思う。

 日本の文化に大変造詣が深く、来日の折には忙しい合間を縫って歌舞伎や能などを鑑賞されていたというし、ご自宅やバイエルン州立歌劇場の執務室には、日本画や日本人形などが飾られていたという。確か、日本から勲章も授与されていたと記憶する。

 このような親日家マエストロは、我々愛好家(特に往年のファン)にとってまさに「N響の顔」だった。N響はその後、デュトワアシュケナージ、プレヴィンなどの著名な指揮者がバトンを継いでいったが、私なんかは今も「N響サヴァリッシュ」のイメージのままだ。
 
 子供の頃からクラシック音楽に親しんできた私だが、自分の小遣いで、自らの選択によって、コンサートに通うようになったのは大学生になってから。たった千円(自由席)で生公演を聴くことが出来たN響は、貧乏学生にとっては本当にありがたく、おかげさまでNHKホールには足繁く通ったものだが、毎年のように来日してN響を振っていたサヴァリッシュにはかなりお世話になった。(当時、4人のドイツ系指揮者(あとはスイトナー、シュタイン、ブロムシュテット)が名誉指揮者として名を連ねていたが、間違いなくサヴァリッシュが首席待遇だった。)


 いくつかの名演が思い浮かぶが、N響では以下の2公演が特に思い出深い。
 一つは、1986年10月、N響定期公演1000回記念で、メンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」を振った特別演奏会。スペシャルな公演で、もっと派手で華々しい曲を演奏してもいいのに(先日の東フィルのグレみたいにさ)、お世辞にもメジャーとは言えないシブい曲を選ぶのも、いかにも堅物サヴァリッシュらしい・・・なんて思っていたのだが、実際の演奏は天上から降り注ぐ美の讃歌のような神々しさに溢れた名演で、感動モノだった。

 もう一つは、この「エリア」からわずか10日後に行われたサントリーホール開幕杮落としの第9公演。この公演は忘れられない「事件」だった。
 もちろんその最大の要因は、日本初のワインヤード形式によるコンサート専用ホールの豊潤な響きにあったわけだが、それだけではなかった。学校の校長先生みたいに生真面目で冷静な印象のサヴァリッシュが、この時、顔を真っ赤にし、まるでやかんから湯気が沸くかのように感情むき出しでタクトを振っていて、心底驚いた。私はP席で指揮者をつぶさに観察していたから、よーく分かった。(考えてみれば、指揮者の表情を真向かいから見られるステージ後方席が設置されたというのも、事件の一つだったと言える。)

 N響以外の公演では、1992年11月のバイエルン州立歌劇場引っ越し公演による「影のない女」。
 何を隠そう、この公演で、私はR・シュトラウスに開眼したのだった。ここからシュトラウス・マニアになったのだ。それまでもシュトラウスは好きだったが、この公演が決定打になったのだった。

 私はサヴァリッシュが名誉会長を務める日本R・シュトラウス協会にも入会し、協会の例会で、サヴァリッシュの講演も聞いたし、サヴァリッシュがピアノ伴奏を務めたR・シュトラウス歌曲集のミニコンサートも聞いた。

 そういうわけで、私にとってサヴァリッシュは、「N響の顔」であると同時に、「R・シュトラウスの大師匠」である。

 かつて、サヴァリッシュバイエルン州立歌劇場のインテンダントの職を辞した際、B・ヴァイクル(バリトン)が、「ドイツの文化芸術政策上の致命的な失敗と言わざるを得ない」と語った。
 今回の訃報は、日本もそうだが、それ以上にドイツで「偉大な芸術家の喪失」と語られていることだろう。

 とにかく心よりご冥福をお祈りしたい。そして、R・シュトラウスの芸術に導いてくれた大師匠に対して、個人的に心よりお礼を申し上げたい。