クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

思い出のグルベローヴァ

 私はこれまでグルベローヴァを計19回聞いている。(オペラ、リサイタル、来日公演、海外遠征) 明日、日本での最終公演を鑑賞すると、ついに20回に到達だ。
 
 彼女の初来日は1980年のウィーン国立歌劇場引越し公演。伝説と言われているベーム指揮の「ナクソス島のアリアドネ」でツェルビネッタを歌った。(もう一つ、「後宮からの誘拐」にも出演)
 だが、さすがにこの時はとても行ける年齢ではなかった。
 
 私が初めて彼女の歌に接したのは1987年10月、東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会東京文化会館)だった。それはおそらく、彼女にとってまだ来日2度目か3度目だったのではないかと推測する。
 
 当時、私はグルベローヴァのことを名前すら知らなかった。にもかかわらず、どうしてこの公演に足を運んだかというと、東フィルの公演予告チラシに、「空前」「世界一」「今世紀最高」「彼女の歌を聞ける幸せ」などといった大々的なキャッチフレーズがズラッと並べられていたからである。
 そもそも、定期演奏会というのはプロオケにとって最も重要なコンサート。その定期演奏会を東フィルはたった一人の歌手に無条件で差し出し、伴奏役に回ったことに、私はただならぬ予感がしたのだ。
 
 その予感は正しかった。
 それはもう、凄まじいほどの衝撃だった。
 感想は「良かった」ではなく、「恐ろしかった」だった。人間業ではなかったのだ。終演後、「信じられねえ・・・ありえねえ・・・。」と首を振りながら帰宅したことを今でも覚えている。
 ちなみに、私はその時まで、ピアノやヴァイオリンのリサイタルは行ったことがあったが、歌手のリサイタルは一度もなかった。私の初の歌手リサイタルがグルベローヴァだった。なんという喜びであろうか!
 
 続く1990年12月の来日リサイタル(サントリーホール)も当然足を運び、前回のリサイタルの驚愕が‘たまたま’ではなく、「空前」「世界一」「今世紀最高」が紛れもない真実であることを確認すると、私は彼女のオペラを観るために海外を目指すことを決心した。
 
 その機会は翌年に訪れた。1991年10月、ミュンヘン
 この時のミュンヘン滞在は、チェリビダッケミュンヘンフィルコンサート、H・ベーレンスとC・ルートヴィヒが共演した「エレクトラ」など、信じられないくらい盛り沢山のラインナップだったが、その中の一つがグルベローヴァが出演する「ランメルモールのルチア」だった。事前に日本から手紙で予約を試みたものの取れず、現地のチケットオフィスに何度も足を運んでリターンを狙い、苦労の末にゲットしたプラチナチケットだった。
 
 ところが・・・・。
 
 当日、あろうことか、グル様は「落っこちて」しまったのだ。直前キャンセルである。
「ウソだろ!?ウソだろ!?ウソだと言ってくれ!」
私の落胆はめちゃくちゃ大きかった。動揺し、ガックリと肩を落とし、公演を楽しむことなどまったく出来なかった。
 私はこの時一緒にドイツに行って鑑賞した親友Oくんに、「ルチアのキャストが替わっている!!グルベローヴァが落っこちた!!」と告げた。当時、Oくんはグルベローヴァのことを知らなかった。だから、彼はいかにそれが重大で嘆き悲しむべきニュースであるかを理解しなかった。「ふーん。そうなんだ。」みたいな返事だった。
 
 事件から1年半後の1993年4月。
 グル様はまたまた日本にやってきた。「オペラ・アリアの夕べ」と「歌曲の夕べ」という二種類のリサイタルだった。
 私は少しでも良い席を確保するために、両コンサートのセット券、しかもS席を購入した。
 とはいえ高額チケットでもあり、グルベローヴァの本領を味わうのなら歌曲よりもオペラ・アリアだと確信していたので、二公演のセット券を切り離し、歌曲の方のチケットをOくんに譲った。まあ、「売りつけた」「押し付けた」というのが正しいだろう。
「ほら、あの時、ミュンヘンで聞けなかった歌手だよ。あの時は痛恨の極みだった。そのことを間違いなく実感できると思うので、騙されたと思って聞いてみな!?本当にすごい歌手だよ。」
 そんなふうに巧みに話して、チケットを買わせたのだ。
 
 コンサートが終わって数日後。彼に会ったので、さっそく「どうだった?」と聞いてみた。
 Oくんは目をキラキラに輝かせて、「すっっっっごかった!!!!」と感嘆を漏らした。
 正確無比で超絶的なコロラトゥーラ、ホールを揺るがすほどの威力のある声、そして立ち上がって熱狂する聴衆・・・。彼にとっても決して忘れられない空前のコンサートだったようだ。
 そうだろう、そうだろう。分かるよ。私も初めて聴いた時は、上に書いたとおり、そりゃもうぶったまげたのだから。
 彼は言った。
「あの時、キミが激しく落胆したその理由がはっきり分かったよ!!」
 ようやく理解してくれて、私も嬉しかった。
 
 
 グルベローヴァが出演したオペラの初体験は1996年4月、ウィーンだった。
 絶対に聴きたいと思っていたツェルビネッタをここで聴くことが出来た。(その後、日本にもシノーポリ指揮で再演を果たすのであるが。)
 グルベローヴァと言えばツェルビネッタ、ツェルビネッタと言えばグルベローヴァ
「最も難しいアリア」とも言われる「偉大なる王女さま」を歌い終わると、客席は興奮の坩堝状態と化した。それは信じられない光景だった。拍手が止まないのだ。いったい何分くらい中断しただろうか。とにかくそれは延々と続いた。
 この時一緒にウィーンに行ったMくんは終演後、「オレ、もう金輪際『ナクソス島のアリアドネ』を観なくてもいいっ!!」と興奮気味に語っていた。
 
「その気持ちは非常にわかるが、でもオレは、アリアドネは今後も何度でも鑑賞したいよ!」と答え、お互い笑ったことを覚えている。
 
 そしてこの年の秋、グル様はフィレンツェ歌劇場と一緒に来日し、ルチアを歌った。(指揮メータ)
 主役ルチアがM・デヴィーアとのダブルキャストで、当時、プレミエ(初日)を二人のうちどちらが歌うかで、舞台裏での争いがあったという噂だが、私は即断即決。一寸の迷いもなし。なぜなら、私にとって、ミュンヘンで果たせなかった夢をここで叶える必要があったからである。
 
 
・・・・ああ、もっともっと書きたいが、長くなり過ぎた。ここらへんにしておこう。
 
 最後に下の写真は、1998年7月、ミュンヘンヘラクレスザールで行われたグルベローヴァ&カサロヴァ・ジョイントリサイタルに行った時、たまたま会場で販売していたCDを購入したら、特典として終演後のサイン会に案内されたので、その際に失礼とは思いつつパチリしたもの。
 
お、お美しいです、女王様!!
 
 
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