指揮 ペーター・シュナイダー
演出 ボレスラフ・バルロク
幕が開くと、15年前に現地で鑑賞した記憶と当時の感動が瞬時に蘇った。舞台装置も衣装も変わっていないし(それは当然のことなのだが)、些細な演技や動きは別にして、出演者たちの基本的な立ち振舞も変わらない。
あの時ステージには、神のごとく崇めていたベーレンスがいた。
「ひょっとしたらそうなってしまうかもしれないな」と思っていたが、案の定、ベーレンスの神々しい舞台姿が脳裏から蘇り、目の前の現実と記憶が交錯してしまった。
私は音楽鑑賞するにあたり、他者(あるいは他団体)と比較して「◯◯に比べて良くない」という批評だけは絶対にやめようと心に決めている人間である。それは、意味が無いこと。
だが今回、どんなに「いかん、そういう聴き方をしてはダメだ」と否定しても、「ああ、ベーレンスはこのように歌っていたのにな。」という思いが噴き出てしまう。バークミンはベーレンスではない。ベーレンスとはアプローチとが異なるのは当然だし、同じである必要も全くない。そんなことは百も承知。分かっている。分かっているが、ダメだった。15年前に観たベーレンスのサロメは、私にとって『伝説』であり『神聖』なのだから。
バークミンに関しての感想はパスさせていただく。すまない、今回だけは勘弁してほしい。
それよりも特筆すべき事は、ウィーン国立歌劇場管弦楽団によるこの上なく美麗で密度の濃いシュトラウス・サウンドだ。まさに別次元、異次元の世界。究極のR・シュトラウス。これまで自分が聴いてきたサロメはいったい何だったのかとさえ思ってしまう。(あ、いかんいかん、比較はよくない!(笑))
とにかくピット内のこのオーケストラを聞くだけでも、高いチケット代の元が取れてしまうだろう。
演出は、きわめて穏当でトラディショナルかつオーソドックス。古色蒼然と言ってしまえばそれまでだが、この舞台はウィーンであるが故の特別な存在価値がある。装置や衣装に施されたユーゲントシュティール様式の特徴的なデザイン。まさにグスタフ・クリムトの世界。これぞウィーンの香り。
サロメの退廃的な物語とウィーン世紀末を重ね合わせた抜群の着眼点。これこそがプレミエから40年近くたっても色褪せずに存続し得る所以だ。
最後に、この日、ヘロデの当初キャストだったルドルフ・シャシンクが体調不良で降板し、ミヒャエル・ロイダーが代役を務めた。