クラシック、オペラの粋を極める!

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2012/8/17 ランスへの旅

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2012年8月17日   ロッシーニ・オペラ・フェスティバル   テアトロ・ロッシーニ
指揮  ピエロ・ロンバルディ
原演出  エミリオ・サージ(リバイバル演出 エリザベッタ・クーリル)
管弦楽  オーケストラ・シンフォニア・G・ロッシーニ
マリアンジェラ・シチーリア(コルリーナ)、リリー・ヨルスタッド(メリベーア侯爵夫人)、フルカール・サビロヴァ(フォルヴィーユ侯爵夫人)、アンナ・ペゴワ(コルテーゼ夫人)、ランドール・ビルズ(ベルフォーレ騎士)、ミロシュ・ブライッチ(リーベンスコフ伯爵)、バウルザン・アンデルザノフ(シドニー卿)、ダヴィデ・ルチアーノ(ドン・プロフォンド)、フィリッポ・フォンターナ(トロンボノク男爵)   他
 
 
 アカデミア・ロッシアーナの研修生による公演。
 チケットのカテゴリーは二つしかなく、良い方でもわずか30ユーロ(約3千円)と格安。マチネーで、午前11時の開演。
 
 だからと言って、このアカデミアを決して決して侮ってはならない。「所詮、学生たちの発表会」などと甘く見て公演に臨むと、脳天をかち割られる羽目になる。
 彼らはコンクール入賞歴を持つなど、いわゆるセミプロの連中であり、選りすぐりのエリートである。そして将来のスター候補生である。この中には、いずれ世界の歌劇場のキャストに名を連ねる可能性のある人材がいる。
 更には、ここペーザロで、歌唱テクニックから舞台上の演技作法まで、ロッシーニに関するあらゆる指導を徹底的に叩き込まれたスペシャリスト。ロッシーニの流儀が骨の髄まで染み渡っているのである。
 
 事実、今年のROFの本公演(マティルデ・ディ・シャブランやブルスキーノ氏など)においても、主役を務めたうちの何人かはアカデミア出身であった。
 
 
‘目からウロコ’とはこのことだった。
なぜROFが世界の注目を浴びるのか?
私が観た本公演のオペラ3本はいずれも超が付くほどの絶品だったが、なぜそれほどまでにハイレベルなのか?
その秘密がここにあった。アカデミアこそが原点なのだ。
「これだったのか・・・」
最後に種明かしをされ、ナゾが解けたような気がして、私は何度も何度も頷いた。
 
 上手い。巧い。とにかくうまいのである。
 なにがうまいって、表現力が舌を巻くほどうまい。
 舞台に登場している全員が、それぞれ与えられた個性ある役について全身全霊で演技している。棒立ちして歌っている人は皆無。セリフや歌が与えられていない箇所でも、表情が豊かに作られ、自然と体が動いている。
「うれしい~!」という気持ちを表す際の、飛び跳ねるような躍動と喜びに満ち溢れた笑顔。
 恋する気持ちを表す際の、何も手がつかないようなオロオロした態度、ドキドキワクワクするような態度。
泣く時は思い切り泣く。怒る時は思い切り怒る。両手を広げ、上を向き、下を向き、目を吊り上げ、ふんぞり返り、ひっくり返る。
 喜怒哀楽を表現するために、持てる物全てを使う。持てる物とは、すなわち心であり、声であり、身体である。
 
 アカデミアで教わっていることは明白だ。
 歌が上手いのは当然であり前提。それだけではダメ。歌というのは感情表現の手段の一つにすぎない。心をストレートにさらけ出し、歌と演技の両方で「人間」を表現し、「生」を表現せよ。ロッシーニの音楽を演奏するということは、すなわちそういうことなり。これぞロッシーニの啓示であり、神髄である。
 
 かのごとく出演者が叩きこまれたことは、当然のごとくお客さんに伝わる。ビンビン伝わる。観客は、この公演が「研修生による発表会」であることなんかすっかり忘れ、舞台に釘付けとなる。そして熱狂する。
 
 アカデミアは研修生を募り、そこで彼らを鍛えてロッシーニの正統な伝承者に仕立て上げる。その彼らが成長し、舞台で発信する。その演奏に触れた人たちが感化され、ロッシーニの魅力に気が付く。やがてペーザロに出向き、ファンになって、マニアになる。
 
 この日の公演の出演者を、私はしっかりとデータベースに残しておこう。いつか再びまたROFの舞台で、あるいは別の歌劇場で、彼らの名前を発見し、「ああ、あの時のアカデミアの人ね」と感慨深く振り返ろう。そういう時が訪れることを今から楽しみにしようと思う。