“一億総「感動したい病」”に苛まれているニッポン。だけど、ここまでのところ銀と銅ばかりで、なんかビミョ~なニッポン(笑)。メダル総数はそれなりに獲得していて、十分素晴らしい成績だと思うけどね。
それにしても、せっかくのスポーツの祭典で、普段なかなかお目にかかれない競技がたくさん目の前で繰り広げられているというのに、人々の感心は競技そのものは全く眼中になく、日本人のメダルの動向ばかり。はっきり言って、競技なんかどうでもいいんだな。なんでもいいからメダル取ってもらって、ただ単に自分がチョ~気持ちよくなりたいだけ。アホくさ。
あまのじゃくの私は、そういう雰囲気が嫌いだから、わざと背を向ける。無関心を装う。心の中では気にはなっているんだけどね。(そんな自分も、本当は好きじゃない。)
もっとも、そういう現象は実は日本だけじゃない。
けっこう昔の話だが、1992年バルセロナ・オリンピックが開催されていた最中に、ちょうど私はヨーロッパにいた。(今と違って、普通の観光旅行だった。)
パリ滞在中にテレビを付けてオリンピックを見たが、そこで繰り広げられていたのは私の知らないオリンピックだった。
中継されていた競技はというと、フェンシング、自転車、ハンドボール、水球・・・これらを朝からずーっとやっていた。ようやく私の知っているオリンピックの代名詞、柔道が中継されたと思ったら、自国フランスの選手の試合のみ。よく考えれば、自国の選手の活躍を追うのは、そりゃもう当たり前のことなのだが、当時は本当に驚いて、カルチャーショックを受けたのを覚えている。結局、どこの国でもオリンピックというのは、ナショナリズム発揚の道具なわけだ。
さて、話を今大会に戻すが、どんなに無関心を装っても、男子日本サッカーの大躍進には驚嘆の念を禁じ得ない。断言するが、これは「歴史的快挙」である。私たちは、今、伝説を目の当たりにしているのだ。
いったい誰が王者スペインを翻弄し、蹴散らすことを予想したであろうか。しかも偶然や運の賜物ではなく、日本は勝つべくして勝った。オリンピックやワールドカップに出場すること自体が夢のまた夢であった不遇の時代を知っている私は、ただただ狼狽するばかり。
スペインを破ったのは出来すぎであったとしても、今、対戦相手が例えばパラグアイだとかメキシコだとかチェコだとかした場合、「普通にやれば勝てるんじゃないか」と思えてしまう雰囲気がある。まったくもって信じられない、すごい時代になったものである。
まあなあ、世界のサッカーを牽引する強豪マンチェスター・Utdに日本人がいるくらいだもんなあ。
男子サッカーは大いに注目しよう。メダルを期待しよう。歴史の証人になろう。
それ以外で私が注目しているのが、男子バスケットのNBAスター軍団アメリカにどこまで欧州王者スペインや南米王者アルゼンチンが肉薄できるか。
やっぱり私はあまのじゃく。許せ。