2012年1月20日 新日本フィルハーモニー交響楽団 すみだトリフォニーホール
指揮 ダニエル・ハーディング
ハーディングはいかにも賢そうな顔をしている。頭脳明晰。秀才っぽい。彼の毎度てきぱきしたタクトを見て感心するのは、スコアを完ぺきに掌握していることだ。スコアの読解能力に関しては、世界の並み居る指揮者の中でも指折りなのではないか。「このスコアに何が書かれているのか解析してほしい。」と頼んだら、嬉々としながらあれこれと説明してくれそうな気がする。
交響曲第9番は、難解なマーラーの交響曲の中でも、更に群を抜いて複雑な構成であるが、難しければ難しいほどハーディングの飽くなき探究心に火がつく。そしてあらゆる方程式を駆使しながら、解答を導きだしてしまうというわけだ。明快で理路整然、見通しの良いマラ9。理にかなっているので、説得力はある。
彼はいわゆる‘理系’ですね。
オーケストラからすれば、曲の全てを掌握している指揮者にリードされるのは、さぞ演奏しやすいに違いない。
ただし、曲の解明だけでは物足りない。理にかなっているだけではつまらない。理屈では説明できない何かが欲しい。
理屈では説明できない何か - 「情緒」だ。
実は、昨年6月、同じく新日フィルでブルックナー8番を聴いた時も、全く同じ感想を抱いた。
それとも、若き秀才ハーディングにそういうのを求めるのは的違いなのだろうか?
情緒とは、経験年数を重ねればいずれ自然と備わってくるものなのだろうか?
うーむ。