薄曇りのウィーン。12月30日午前10時、楽友協会ホールのエントランス前は、まだ閑散としていた。
ウィーン・フィル、ニューイヤープレコンサート。午前11時開演までのおよそ1時間が勝負の時。私は正面入口ドアの前に立ちはだかり、おもむろにホテルの一室で作成したカードを手に掲げた。
「Suche 1 Karte bitte!」(チケット1枚譲ってください!)
そして、一縷の可能性を運に託し、世紀のコンサートに立ち会うチャンスを、祈りすがりつつ緊張の面持ちでじっと覗った・・・・・。
なーーーんて、ね。
実際は緊張感などゼロで、気分的には「運試し」をしているようなものだった。前々回の記事で書いたとおり、「プラチナチケットであり、ダメで元々」、「べつに、所詮ウィンナ・ワルツだしー」。
「そんなんだったら、最初からパスして観光でもすればいいじゃんか。時間がもったいないだろ」って??
うーん・・・。まあそれは確かにそうっす。
正直に告白すると、万が一取れなかった時にがっかり喪失感に襲われないように、あらかじめ自らの気持ちに予防線を張っていたのだというのが正しいのかもしれない。
10分、20分と経過するに連れて、貴重なチケットを持ったお客さんが少しずつ会場に集まってくるようになった。それに併せて、私と同じように「チケット譲ってください」カードを掲げる人が一人、また一人と、徐々に増えていった。午前10時の時点では私一人だったが、午前10時半の時点で、その数は10人を超える程になった。日本人らしき人の顔も見える。ライバルが増えれば当然自分へのチャンスが減少するわけで、こちらとしては気分的にあまり面白くない。
その一方で、依然としてチケットを譲ってくれそうな人は全く現れない。他の人の状況も同様で、誰かが入手出来たという気配は全くなし。私は既に諦めの境地が半ばだった。
同じ立場でチケットを探している外国人から、「もし、君に声を掛けた人がチケットを複数枚余らせていたら、その時は是非私に声をかけてくれないか?」と英語で話しかけられた。「オーケー、グッドラック」と返事をした私。心の中で「そんな奇特な人なんかいねえよ。」と呟く。
それらに比べて、やはり今回のニューイヤーコンサート、‘プレ’とはいえ、明らかにいつもと違うな、と肌で感じた。
何が違うって、お客さんの人種が違う。明らかに外国人が多い。特にアメリカ人が多い。
普段のウィーン・フィル定期公演のお客さんは、地元ウィーンやその近郊在住の会員がほとんどである。そういう人たちは、プログラムや指揮者に関心が沸かないと、会場で求めている人に権利を譲渡してくれる。定期会員なので、「また次のコンサートに来ればいいや。」という感じであり、それこそ定価で気軽に譲ってくれるのである。
それに比べて、今回のは世界中から申込みが殺到する憧れのコンサート。プラチナチケットを手に、外国からはるばるウィーンに乗り込んで来たセレブたちばかりだ。そりゃ、のんきにチケットを余らせて会場入りする人などいなかろう。
時計は10時45分を回った。開演まであと15分。
チケットを持っているお客さんはどんどんと会場に入っていく。ジリジリと焦りだしてもいい時間帯だ。「落ち着け。ダメ元、ダメ元、運試し」と自らに言い聞かせる私。
すると・・・・。
一人の紳士が私に声を掛けた。おお!!奇特な人が現れた!!
「チケットをお譲りしましょう。ただし席はあまり良くないですよ。オーケストラ席です。ステージ上の裏側ですね。それでもいいですか?」
「もちろんです!!いくらで譲ってくれますか?」
「チケットの値段は120ユーロですよ。」
紳士はそのチケットを私に提示した。120ユーロと書いてある。つまり、この人はダフ屋ではなく、定価でチケットを譲ってくれようとしている。いやーこれはラッキー!!!!!
と、その時!!
横槍が現れやがった。
「ヘイ、ミスター。私はそのチケットを150ユーロで買いましょう。だから、私にそのチケットを譲ってくれませんか??」
・・・・てっっめえーーーー。このやろーーーー。
紳士の気持ちが揺らいだのがはっきりと分かった。「さて、あなた、どうします?」みたいな顔でこちらを見返した。
私は猛然とラッシュした。ここぞとばかりに力を爆発させ、声を張り上げた。
紳士に対して「私は200ユーロ出しましょう。是非、私に譲ってください。」
横槍のヤローに対して「おい!彼が声をかけてくれたのは私だ!オレが先だ!!引っ込めGET OUT!!」
交渉成立。
アドレナリンが放出されたのがはっきり分かった。
200ユーロへの競り上げは無我夢中だった。「ダメ元、運試し」なんて意識は完全にすっ飛び、チケットを得るために明らかに全力を出した。見ず知らずの外国人に「引っ込め!」なんて言葉を使ったのは生まれて初めてだった(笑)。
譲ってもらうチケットが安い120ユーロというのが助かった。もしこれがS席380ユーロだったら、競り上げられたら、ひとたまりもなかった。あっけなく敗北しただろう。財布には500ユーロしかなかったし。
午前10時50分。開演10分前、立場逆転しプラチナチケットホルダーと化した私は、勝者の面持ちで堂々と会場に入っていった。
もちろん正確には不明だが、この日、チケットを探し求めていた人で最終的に幸運を得られた人は私以外にはいなかったのではなかろうか。ダフ屋も出没しなかったし。他にいたとしてもせいぜいあと1人がいいところだろう。とにかく、とにかく、運が良かった。
公演レポは次回に。