クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/12/29 オルフェオ

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2011年12月29日  アン・デア・ウィーン劇場(ウィーン市立歌劇場)
指揮  アイヴォール・ボルトン
演出  クラウス・グート
管弦楽  フライブルガー・バロック・オーケストラ、モンテヴェルディ・コンティヌーオ・アンサンブル
ジョン・マーク・エインズリー(オルフェオ)、マリー・エリクスモーン(エウリディーチェ)、カーチャ・ドラゴジェヴィッチ(音楽、使者、希望)、フィリップ・エンス(カロンテ、プルトーネ)、ミルコ・グァダニーニ(アポロ)  他
 
 
 どの時代の作品も、あるいはどの国の作曲家であっても、なるべく選り好みせずに、幅広く聴きたいと表向き上は思っている。だが、やはり好みというのは当然あって、どうしてもロマン派以降の近代作品に傾いてしまうところである。
 そんな私にとって、コテコテの古楽であるモンテヴェルディ作品の鑑賞は、「チャレンジ」以外の何物でもない。
 にもかかわらず今回この公演に興味が湧き、是非見てみようと思ったのは、現在世界のトップ演出家の一人であるクラウス・グートが公演スタッフに名を連ねていたからだ。
 
 かれこれ400年も前の作品。ギリシャ神話で、妻エウリディーチェが亡くなった事を嘆き悲しむオルフェオが黄泉の国に向かい、エウリディーチェを取り戻そうとするものの、地上に連れ返すまでの条件を守ることが出来ず、結局目的が果たせなかった、という単純で素朴な物語。
 奇才グートがこれを神話のまま普通に舞台に上げることは到底考えられず、当然現代に置き換えることになる。しかし物語自体は上記のとおり非常にシンプルなだけに、これをどのように現代風にアレンジして蘇らせるのかが最大のポイントであり関心事である。
 
 では、グートはどのように創り上げたか。
 
 時代を現代に置き換えたのは見込みどおり。オルフェオとエウリディーチェの結婚を牧童やニンフたちが祝福する場面は、現代のどこにでもある楽しく賑やかな結婚パーティーになった。
黄泉の国に旅立って三途の川を渡り、死んだ妻を連れ戻すなどということは現実ではまったくあり得ない。このため、妻エウリディーチェが亡くなった以降は、オルフェオの頭の中に浮かぶ追憶や回顧シーンとなり(上の写真のように、壁をスクリーンにした映像が流される)、最終的にオルフェオが絶望のあまり妻を追って服薬自殺を図って、遠のく意識の中で物語が展開するという解釈を披露したのであった。
 
なるほどねー、うまくまとめたねー、と思った。
だが、よーく考えてみると、この物語を現代演出でやるとしたら、はっきり言って解決策はもうこれしかないのではないか思う。作家とか演出家の肩書きを持つ人たちに対して「この物語を現代に置き換えなさい」という課題を与えたとしよう。それらの人たちは、考えた挙句、結局このやり方か、もしくはこれに近い手法を採るのではないだろうか。
要するに、こんな事言っちゃなんだが、難題は見事にクリアし解決したものの、アイデアとしては「普通」。ましてや「天才」と持て囃されるグートからすると、独創性ポイントはイマイチという厳しい評価にならざるを得ないだろう。
 
 
 音楽面について。
 古楽特有のモノトーンな旋律と響きに退屈するのではないかという恐れを抱いていたが、フタを開けてみると全くそういうことがなかった。普段耳馴染んでいない古楽器の独特の響きにかえって新鮮さを覚え、愉しささえ感じられた。弦楽器のアーティキュレーションはパンチが効いていて耳に心地よく、通奏低音は非常に神秘的であった。なるほど、古楽というのは独特の魅力を併せ持っているのだなあ、と改めて再発見した。
 現代演出との相性も、決して悪くない。舞台は現代風、聴こえるのはルネッサンス風であっても、違和感は全くなかった。
 
 来場したお客さんもみんなそう思ったのだろう。終演後の喝采、特に指揮者ボルトンに対する拍手はとても大きく暖かいものであった。