クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

シャルル・デュトワ

お待たせしました!発表、私の好きな指揮者ベスト5!
 
え?誰も待ってない?あっそ。まあそう言わずに。
抽出の条件は現存活躍中の指揮者。死んじゃって録音でしか聴けない人は除かせてもらいます。
 
第1位は、もう何度もこのブログで公表しているので御存知かと思うが、皇帝リッカルド・ムーティで決まり。
1位がダントツなのに比べてそれ以下はちょっと迷うのだが、第2位はたぶんクリスティアンティーレマンになるのだろうな。もっともティーレマンの場合、「好き」というより、「もはや絶対に無視できない存在」と言ったほうがマッチする。
 第3位シャルル・デュトワ、第4位ダニエル・バレンボイム、第5位が同点でユベール・スダーン大野和士。うーむ、パーヴォ・ヤルヴィが入らないなー。まあいいや、以上、素晴らしいと思える指揮者の客観ランキングではなく、あくまでも個人的に好きということで挙げました。
 
 で、今日はその中から、堂々第3位のデュトワについて書こうと思う。(相変わらず、前置きが長いなあと我ながら思う。)ちょうどN響客演中ということで。既にAプロ、Cプロの鑑賞記をアップしたけど、Bプロも行きます、当然。オフコース
 
 今でこそクラシックファンでデュトワの名を知らない人はいないくらいの名指揮者だが、彼が世界にその名を知らしめ轟かせたのは、一枚の録音アルバムだった。
 1980年に録音されたラヴェルのダフニスとクロエ。この録音のインパクトは鮮烈、衝撃的、驚異的であった。この演奏を「魔法」と言わずして何と言おう?記念碑とも言える歴史的名盤の誕生。世界各国で絶賛され、賞を受賞した。まさにデュトワは金字塔を打ち立てたのである。
 
 さらに、一発屋で終わらないのが、デュトワのスゴいところ。
 ラヴェルドビュッシー管弦楽曲集、シェエラザード、サン・サーンスのオルガン付交響曲幻想交響曲ストラヴィンスキーバレエ音楽・・・出すCDは軒並み大ヒット。80年代はデュトワの黄金時代と言っても過言ではなかった。私も、ちょうどその頃、貪るようにCDを買いあさって聴いていたので、デュトワには相当お世話になった。
 
 1985年2月、デュトワモントリオール響が来日し、色彩の魔術師がそのヴェールを脱いだ。
 プログラムはさまよえるオランダ人序曲、シベリウスVn協(独奏:堀米ゆず子)、ドビュッシーの海、そして十八番のダフ・クロ第二組曲。実力は伊達ではなかった。本物だった。噂どおり、録音のとおりであった。眩いばかりの鮮やかな七色の虹がステージにかかったかのような美しいサウンドであった。
 
 デュトワN響の幸せな結びつきは早かった。1987年に初共演。私も行ったその時のプログラムがこれがまた唸らせる。一曲目シェエラザードで、メインがサン・サーンスのオルガン付交響曲。もちろん超が付く名演だった。以来、デュトワは何度も来日し、ついにN響初の「音楽監督」就任となる。そして任期満了後もこうしてほぼ毎年来日してくれる。なんとありがたいことであろうか。
 
 この業界に身を置く知人から聞いたことがある。
 デュトワはセクハラオヤジである、と。
程度にもよるが、もし許せる範囲ならば、まあいいじゃないか。なんとなく女好きの顔をしているもんな(笑)。英雄色を好むわけだ。アルゲリッチと結婚し、新婚旅行を兼ねて日本にやってきて、そこで喧嘩してアルゲリッチが一人帰国してしまったというエピソードなんか、もう最高ではないか!
 
 最後に私のエピソードを。
 1991年4月、N響の3つのプロを振るために来日したデュトワ。私はその三公演全てに足を運んだ。最後の3つ目の公演の翌日、私は海外旅行に出掛けるということで、成田空港に出向いた。
 ちょうど出国審査で列に並んでいたのだが、ふと後ろを振り返ったら、真後ろにデュトワが立っていた。そりゃもちろん、びっくり仰天したよ。で、話しかけた。
 
私「マエストロ・デュトワ!!!アメイジング!! こんな所で会うとは!私は昨日N響のコンサートに行ったのですよ!素晴らしかったです。」
デュトワ氏「おお、サンキュー。」
私「ちなみに、私は3つの定期公演全てに行きました。私はアナタの音楽が大好きです!」
デュトワ氏「おおお!!!!ファンタスティック!!サンキュー・ベリーマッチ!今日はホリデー旅行ですか、ビジネスですか?どこにお出かけですか?」
私「もちろん、あなたがこれから行くところについていくのですよ!(笑)」
デュトワ氏大爆笑。
 
 私は決して英語が堪能ではないが、この時ばかりは見事にやりとりがハマり、英語でジョークを言うことが出来、それをデュトワが大笑いしてくれて、我ながら大満足したのであった。一生忘れないっすね。