クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/11/22 ベルリン・フィル

指揮  サー・サイモン・ラトル
マーラー  交響曲第9番
 
 
 圧倒的なベルリン・フィルの技術の高さとパワーに、完全に打ちのめされた一夜。
とにかく「驚嘆」の一言。あの凄まじさ、戦慄、衝撃はいったい何だ!?
ありゃゴジラだ。ゴジラの来襲だ。ズドーンという地響きとともに地面に食い込む足跡を残し、踏みつぶしていくような破壊力。我々ははただ口をあんぐりと開けて呆然と見守るしかない。(うーんダメだぁ、ほかに形容できるようなカッコいい言葉が見つからん)
 
 ソロホルンの轟き、ティンパニーの一撃、弦楽器群のうねり、金管の咆哮・・・その威力は、十分な容積を誇るサントリーホールでも収まりきらない。ホールという枠を突き破り、地球全体を響かすほどの果てしない広がりを見せる。驚異のハイパー名手軍団ベルリン・フィル。私はただただ脱帽し、こうべを垂れ、跪いた。
 
 指揮者ラトルがやっていることは、そうしたベルリン・フィルの超絶的な技量を利用し、ひたすら宇宙へと向かう音響を創造生成するための果てしない実験である。それ故、マラ9のスコアに潜む死への畏れ、憂鬱、悲劇性、耽美さ、病的な沈痛感などとは無縁となる。それがいいのか悪いのかは分からない。この曲の思い入れの度合いは人それぞれだ。
 
 それでも、この日のベルリン・フィルの純粋な演奏の出来栄え自体に、文句を唱える人はいないだろう。つまりは、オケがベルリン・フィルだからこそ可能なアプローチだったのだ。そのことはラトルも十分に分かっている。究極の合奏技術能力が、曲そのものの潜在性や聴く側のノスタルジックな思考を完全に凌駕してしまった、ある意味でクラシック演奏史上画期的かつ歴史的な瞬間でもあった。私の記憶には、これを「事件」としてしかと刻み込まれた。もはや忘れることはできない。