クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/8/19 マクベス

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2011年8月19日  ザルツブルク音楽祭  フェルゼンライトシューレ
演出  ペーター・シュタイン
合唱  ウィーン国立歌劇場合唱団
ゼリコ・ルチッチ(マクベス)、タチアナ・セルジャン(マクベス夫人)、ドミートリ・ベロゼルスキー(バンクォー)、ジュゼッペ・フィリアノーティ(マクダフ)、アントニオ・ポーリ(マルコム)   他
 
 
 ヴェルディマクベスはこれまで国内国外合わせて9回鑑賞しているが、最高の感動を享受できた名演と、思い出したくもないサイテー駄演の両極端を経験している。
 最高の名演とは、2003年9月、ミラノ・スカラ座の引越し公演のムーティ指揮によるもの。とーぜんですね。
 思い出したくもない駄演とは、おととし12月、「世界最高のオペラハウス」の看板がすたるウィーン国立歌劇場の上演である。ウィーン・フィルとは思えないスカスカの演奏、目を覆わんばかりの惨憺たる演出、その演出の割を食った歌手・・・。当初振る予定だったD・ガッティが急遽降板してしまったのだが、「キャリアに傷がつくのを回避したに違いない」というのが私の推測。当時の感想としてブログに「失敗作。あっという間に消え行く運命の新演出」と書いた。そのとおり、その後同歌劇場のラインナップに上がっていない。
 
 とにかく、マクベスという作品自体を貶めかねなかった悪夢の公演。その嫌な思い出を完全払拭できるまたとない機会が今回到来した。ウィーン・フィルにとっても、この曲にとって最高の指揮者を得て名誉挽回の大チャンス。
 
 
 チケットの入手が難しかったという話は、以前の記事に書いた。この日、プラチナチケットを握り締めて会場に向かうと、そこには「チケット譲ってください!」というカードを掲げた人たちが何十人も徘徊していた。一歩間違えば危うく私もその中の一人だった・・・。
 
「入手困難なチケットをゲット出来る確率は、その公演をどれだけ観たいかという情熱に比例する。その情熱の中には『どれだけ出費できるか』も含まれる。」 by sanji
 
 私は正規チケットを入手出来なかった。だが、定価に多少上乗せしてでも観たかった。こうしてチケットを手に入れられたのはその情熱の成果。「ズッヒェ・カルテ!」をやっている人たちに「オレは君たちよりも観たいという情熱が上回っていたのだ!」と‘上から目線’を浴びせながら(笑)堂々フェルゼンライトシューレに入場した。
 
 その会場、祝祭大劇場に比べると明らかにキャパが小さい。これがチケット入手難の原因の一つ。だが、逆に言うと、そのおかげでカテゴリー4(C席)にもかかわらずステージに近い。しかも段差があるので非常に見やすい。
 
 開演時間の午後3時、颯爽とマエストロが登場し、序曲を奏でるべくタクトを振り下ろした。ちょうどその時、時報を告げる外の教会の鐘の音が会場内に漏れて聞こえてきて、オーケストラの音とかぶったのはご愛嬌だった。
 
 演奏について。
 仮に演技演出がなくても、音楽だけでドラマの全てを語ることが出来るムーティのタクトの雄弁さ!そして、あらゆる場面や局面のメロディに適った技法をたちどころに選択して自由自在の音色を繰り広げるウィーン・フィルの懐の深さ!これらの見事な融合によって、このドラマが持つ緊迫感、人間の欲望や強さ弱さ、光と影、栄光と挫折などが次々と浮き彫りになった。これぞマクベス!これぞヴェルディ!こういう演奏を待ち望んでいたのだ!
 
 演出について。
 演劇界の巨匠ペーター・シュタインの舞台はオーソドックス。中世叙情詩の物語、幽霊や魔女が活躍する場面があるこのオペラには、歴史の風情を感じさせる舞台背景を持つフェルゼンライトシューレがぴったり合う。まるで、古代ローマ闘技場跡で観る野外オペラのようだ。
 舞台機構上の大きな制約がある中、照明などを上手く活用しながら、手堅くまとめられていた。深読みを求められる現代演出ばかり見せられてきたため、なんかとても懐かしく、ホッとした。
 「なるほど!」と面白かったのは、魔女たちの正体が森あるいは木の妖精であったこと。彼女たちは自ら予言し、その予言を実践すべく自分たちでバーナムの森を動かしていった。
 
 その他特筆すべきこと。
 マルコム軍勢の勝利の凱旋歌で終わる版ではなく、死を迎えるマクベスのモノローグで終わる版を使用していた。作品の成り立ちについて詳しいことはよく知らないが、Wikipediaによるとマクベスのモノローグで終わる版が初演版だそうだ。かつてムーティスカラ座で上演したのは改訂版の方で、自分もそちらに慣れ親しんでいたので、クライマックスの展開にはかなり驚き、戸惑った。
 また、そのWikiによれば、第3幕の魔女たちのバレエ場面は改訂版の際に付け加えられたそうだが、今回の上演では、第3幕の前奏曲扱いにして、オーケストラのみでバレエ音楽を演奏した。
 ここらへんの経緯について、原典主義を貫くという信念を曲げないムーティがどういう事情でそうしたのかは大いに気になった。