2011年8月18日 ザルツブルク音楽祭 祝祭大劇場
ヤナーチェク マクロプロス事件
指揮 エサ・ペッカ・サロネン
演出 クリストフ・マルターラー
アンゲラ・デノケ(エミリア・マルティ)、レイモンド・ヴェリー(アルベルト・グレゴル)、ヨハン・ロイター(ヤロスラフ・プルス)、アレス・ブリスセイン(ヤネク)、ライランド・デイヴィス(ハウク)、ヨッヘン・シュメッケンベッヒャー(コレナティ) 他
デノケ!デノケ! アンコーラ デノケ!
日本にまだ一度も来たことがない最後の大物歌手。4年前、ザクセン州立歌劇場(ゼンパーオーパー)の引越し公演でばらの騎士の元帥夫人役として当初来日メンバーに名を連ねていたのに、残念ながら変更になってしまった。長旅を要する日本へのツアーに本人が難色を示したという噂を聞いた(真偽不明)。
彼女のすごさが日本で見られない、彼女がいかに偉大な歌手であるかがあまり日本で知られていない、これらは極めて残念なことである。日本のオペラの興行は、最後の一ピースが欠けて完成しないジグソーパズルになってしまっている。
今回の「マクロプロス事件」では、演出家がどれほど個性的な舞台空間を作っても、サロネンがどれほど隙のない音楽を作っても、デノケ一人の圧倒的な存在感の前に全てが霞んだ。祝祭大劇場に集った観客全員が彼女に釘付けとなった。
だいたいさあ、演出なんかさあ、もうヘタなアイデアなんかこの際全部捨てて、デノケに任せちゃって彼女の本能的な動きに合わせちゃえばいいのにさ。それなのに、まっったくマルターラーときたら・・・。
いや、知ってるよ、分かってるよ、マルターラーが常人では理解出来ないシュールな舞台を作ることくらい。それでこそマルターラーだし、それこそ彼が奇才と言われている所以だし。
でもデノケが大見得を切っている時に、横っちょでつまらん演技を延々と繰り返していると(その演技はたぶん、マルターラーにとっては意味があるのだろう)、気が散ってしようがない。
いつもなら、そういった演技の真意を探ることを試みる私も、今回はやめた。ただ、全身をアンテナにして集中し、デノケを見、デノケを聞いた。
女神のごとく崇拝していたソプラノ、ヒルデガルト・ベーレンスがこの世を去ってしまった今、私が最も賞賛を惜しまないのがアンゲラ・デノケ女史。カーテンコールで、一連のフェスティバル公演で初めて、唯一、私は自分の席をすかさず離れてステージ近くまで走り寄り、ピット前の最前列で彼女に向けて拍手を贈る行動に打って出た。目の前で見たデノケ様は神々しいほどに光り輝いていた。
一瞬、写真を撮ろうかと思ったが、それより惜しみなく手を叩いて彼女を最大称えることを優先した。