クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2011/8/27 サイトウ・キネン・フェスティバル 青ひげ公の城

指揮  沼尻竜典(1)、小澤征爾(2)
演出・振付  金森穣
ダンス  Noism1&Noism2
 
バルトーク 中国の不思議な役人(1)、青ひげ公の城(2)
マティアス・ゲルネ(青ひげ)、エレナ・ツィトコーワ(ユディット)、アンドラーシュ・パレルディ(吟遊詩人)
 
 
 ザルツブルクから帰ってきても、私の‘2011年夏の祭典’はまだ終わらない。先週日曜日に帰国し、月火水木金と仕事をしてようやく待ちに待った休日だというのに、片道3時間半かけ日帰りで松本に行ってきた。少し、というか、かなりキツかった。松本までの特急電車の中ではほとんど寝てた。だが、それもこれも小澤さんの待望の復帰公演に居合わせるためだ。チケットは全公演とも即日完売。ネットオークションでは明らかに転売目的のチケットが高額で次々と落札されていた。みんなが待ち侘び、何としても聴きたかったのだ。
 
ところが、この喜ばしい公演にすっかりケチが付いてしまった。再び体調を崩して、全4公演のうち半分しか振らなかったのだ。いくら健康状態で仕方がないとはいえ、落っこちた公演に行った人は大がっかり、これでこのあとの中国遠征公演を元気に皆勤したら、「冗談じゃねえよ、ったくもう」というところだろう。
 
 たまたま運よく小澤さんが振った公演を聴けた人間がこんなことを言っても何の慰めにもならないだろうが、公演は少なからずの練習とリハーサル、ゲネプロを重ねて本番を迎えるわけで、既に本番前の段階で「小澤征爾バルトーク」が完成していたはずだ。最後だけを副指揮者(おそらくリハーサル段階からずっと付き添っている)に委ねても、音楽にそれほど大きな落差はないのではないだろうか?? プロ中のプロであるサイトウ・キネンの連中が、「おい、本番はオザワさんじゃないんだってよ。じゃ、いっちょ手を抜いて軽くいきますか」なんてことはないと思うのだが。
 何年前だったか、ワシントンオペラが来日してヴェルディオテロをやった時(ドミンゴ出演)、たった一日だけ特別出演でV・ゲルギエフが振った。私は他の指揮者の日とゲルギーの日と両方行ったが、全く同じだったような記憶がある。(「それは所詮ゲルギエフだからだ」というツッコミは無しね(笑))
 
 何よりも、二人のソリスト、エレナ・ツィトコーワとマティアス・ゲルネのご両人が素晴らしかったではないか!
 ツィトコーワはとにかく声が大変美しい。例えがホント下品で申し訳ないけどサ、なんつうか「若くてピチピチ」っていう声なんだ(笑)。ゴメン。とにかく若くて美しくて好奇心旺盛の花嫁ユディットにぴったり。
 これとは好対照で、ゲルネも陰影のある彫りの深い声で、意味ありげで謎めいた青ひげにぴったり。この二人の好演だけで、小澤が降ろうが振るまいが、素晴らしい印象が残ったはずである。
 
 その小澤征爾は、この日見た限りでは‘普段通りの小澤さん’という印象。カーテンコールも元気よく出てきたし、とても前2回をキャンセルした風には見えなかった。毎度毎度「出たり出なかったり」は困りものだが、体調管理に気を付けて、日本の音楽界をもう少し引っ張ってください。
 
 演出は、まあまあってところでしょうか。振付も担当した金森穣さんという人はかなり若いようだが、その若さでこれだけの造形美を創り上げたのは素直に賞賛できる。
 
でも、なんというか、いかにも日本人らしい、「怠りない」「かゆい所まで手を届かせる」演出・振付だなあとも思った。原典から逸れないし、ト書きにしっかりと注意を払う。そして、やりたいことをあらゆる手法を駆使して全部見せてしまう。
前半の「中国の不思議な役人」、私は音楽は知っているけど、何を隠そう物語は知らない。で、バレエというのはセリフが一切無く、物語が言葉で説明されないにもかかわらず、踊りだけを見てちゃんと理解できてしまったわけだ。
日頃、外国人演出家のオペラばかりみていて感じるのは、どのようにも解釈することができる曖昧さ、観る人の想像力に任せるという隙間というのがある。で、そういう隙間にこそ力が入っていたりする。日本人は理解しにくい部分の隙間をどんどん埋めてしまうわけですな。まあ、いい悪いの問題とはいえないかもしれないが。
 
 サイトウ・キネン・オーケストラの技術の高さは、前半のプログラム、沼尻さんの指揮による演奏でも十分に発揮された。小澤征爾の動向ばかりが注目されてしまったが、沼尻さんの力量をもっと讃えてもいいと思う。私は中堅・若手の中で、大野和士の背中を追いかける存在として大いに期待しているところだ。
 
 そうだ、その大野和士マーラー復活を明日聴いて、ようやく私の‘夏の祭典’が終わる。もうすぐ9月ですね。