クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2011/4/16 新国立 ばらの騎士

2011年4月16日  新国立劇場
指揮  マンフレッド・マイヤーホーファー
演出  ジョナサン・ミラー
アンナ・カタリーナ・ベーンケ(元帥夫人)、フランツ・ハヴラータ(オックス)、井坂惠(オクタヴィアン)、安井陽子(ゾフィー)、小林由樹(ファニナール)   他
 
 
「ありゃりゃ、初演のものからずいぶん変わっちゃったなあ・・・」というのが、感想だ。
 
そりゃ4年前のプレミエとは指揮者も違うし、オケも違うし、主役は全取り替え。同じなのは舞台装置だけ。違うのが当たり前と言えば、確かにそのとおりだ。
 
前回とキャストを変えてしまう - それ自体を否定するつもりはない。キャストを変えることによって、また違った一面を見つけることが出来る。新たな印象をもたらす効果が期待できる。「また行ってみようかな」といった魅力を生み出す。
 
だが、演出コンセプトだけはできるだけ忠実に保持されるべきだ。残念ながら、初演時に演出家ジョナサン・ミラーが施した作品に対するアプローチはぼやけてしまい、あたかも本物の人間ドラマを見ているかのように自然で美しかった登場人物の演技所作はかなり曖昧になってしまった。日本人のオクタヴィアンやゾフィーの動きは硬くてぎこちなく、外国人の元帥夫人とオックスに至っては慣れ親しんでいる自己流演技でかなり勝手に動いていた。
 
もっとも、震災・原発ショックによる急なキャスト変更等で、しっかりとした練習時間を確保することが出来なかったのが原因だろうから、仕方が無いのかもしれない。文句は言いたくない。ただ、「残念」の一言だ。
 
アンナ・カタリーナ・ベーンケは、毅然として凛とした、貴族の誇りを失わない格調高い元帥夫人だった。素晴らしい歌声で、音楽面に関してはとても満足。
だが、プレミエの時にカミッラ・ニールントが演じた元帥夫人は、芯の強さだけでなく、不安や寂しさをも絶妙に表現して、観ている人の心を打った。
 このオペラに潜む重要なテーマ、「時のうつろい」。愛する人が、いつかは自分の元から去っていってしまうという恐れ、諦め、悟り。そのことにまだ気がつかないオクタヴィアンとの微妙なズレ。
 第一幕の元帥夫人のモノローグの場面で、儚さ、寂しさ、やるせなさが見事に演じられ、それが美しい音楽と重なり合った瞬間、私はいつも涙でぼろぼろになるのだが・・・今回はそこまで到達しなかったのが、やや残念だった。
 
世界中でオックスを歌っていて、おそらくこの役の第一人者であろうハヴラータ。私自身、彼のこの役を観るのは、なんとこれで4回目。オックスが体に染み付いているかのように小慣れた歌と演技はさすがとしか言いようがない。カーテンコールでの拍手も一際大きかったが、もちろんその中には「よくぞキャンセルせずに来てくれた!」という感謝の気持ちが多分に含まれている。
 
 日本人も健闘したと思う。安井さんのゾフィーは良かった。井坂さんのオクタヴィアンは、上に書いたとおり、やや演技が硬かったのが残念。でも、こういう状況下と急な代替登板の中、一生懸命頑張っていたのはしっかり見て取れた。
 
 最後に、「オペラで、音楽に集中して耳を傾ける」日本の聴衆の態度は本当に立派だ。
 第一幕の終わりで、オケの弱奏に合わせて幕が静かに降りても、拍手で音をかき消すことをしないし、オックスのコミカルな演技にも、心の中でニヤッとしつつ音楽に敬意を表して声を出して笑うことを控える。
 あのね、これがアメリカだとね、大変なんですよ。つい先日も、シカゴリリックオペラの記事で書いたが。日本の聴衆は成熟しています。素晴らしいです。