クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/2/11 ローエングリン

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2011年2月11日  シカゴ・リリック・オペラ
指揮  サー・アンドリュー・デイヴィス
演出  エライジャ・モシンスキー
ヨハン・ボータローエングリン)、エミリー・マギー(エルザ)、グレア・グリムズリー(テルラムント)、ミヒャエラ・シュスター(オルトルート)、ゲオルグ・ツェッペンフェルト(ハインリッヒ王)  他
 
 
 英国ロイヤル・オペラ・ハウスからの貸出プロダクション。HPの写真を見る限り、舞台装置や衣装などから演出はオーソドックスであることが想定された。そもそも読替を始めとする現代的な演出は、ここアメリカではほとんど受け入れられていない。メトのような世界屈指の歌劇場でさえそうなのだから、シカゴなど推して知るべし。アメリカでオペラを見に劇場にやってくる人たちは、基本路線を熟知した上でその一歩先に踏み込む準備と余裕が全く形成されていない。単にお芝居を見に来ているだけ。熟成されていないのだ。仕方がなかろう。
 
 幕が開いて、超質素で陳腐な舞台装置に唖然愕然。「いまどきこんな高校生の学芸会みたいな舞台が存在するんだ・・」と別の意味で感心した。
 
 ところが・・・・。
 演出家の狙い、主張はそこにしっかりと存在していた。「フン」と斜に構えて見下すように舞台を見ていた私は、その事に気がついた時、思わず口が開きピンと背筋が伸びた。
 
 テーマは、キリスト教と異教との対立、そしてどれだけ信仰に忠実でいられるかの精神上の葛藤と戦いだ。
 
 エルザ対テルラムント&オルトルート組の対立は、まさに自らが信じる宗教の正当性を賭けた言い争いである。また、ローエングリンから「名前や出処を問うてはならぬ」と告げられるのは、信仰心の厚さ深さを試される試験である。ローエングリンは神から遣わされた使徒であり、宣教師。エルザは信仰心の未熟さ故に信念を貫くことが出来ず、あっけなくぐらついてしまうという筋書きだ。これは非常によく出来たドラマであり、演出家による核心をついた名解釈だと思った。
 
 しかーし。おそらくこの演出上の主張に気が付いた観客はほんの一握りだったことだろう。なにも考えてないもんな、こいつら。
 
 音楽的には言う事なしというくらいの充実な歌合戦が披露された。
 今現在、世界最高のローエングリン歌いはJ・カウフマンかK・F・フォークトで決まりだと思っていたが、どっこい忘れちゃ困るぜこの人、ヨハン・ボータ。ウィーンのカンマーゼンガー(宮廷歌手)、プリモテノール。この際、体型の問題は横に置いておこう(笑)。余裕の歌唱と美声、ここぞという所での爆発的パワー。素晴らしい。
 エルザのエミリー・マギーは、この秋バイエルン州立歌劇場の来日公演で同役を歌うことになっている。一昨年チューリッヒで見た影のない女における皇后役の超絶品さに比べると見劣りがしたが、十分にハイレベルだ。9月も期待できる。
 そしてそして、この日圧倒的な存在感で観客を魅了したのは、オルトルートのシュスター。この人は、歌以上に演技がすごい。表情や目が鬼気迫っている。彼女が顎を上げたり、首を傾けたりするだけで、空気が一変する。シュスターさん、役者になった方がいいのでは??(笑)
 もちろんハインリッヒ王のツェッペンフェルトの歌も実に偉大だった。
 
 首席指揮者のアンドリュー・デイヴィスの指揮は手堅くて安心して聴けた。この人は、日本ではそれほど高く評価されていないが、アメリカでは揺るぎない支持を得ているようだ。ドイツ・オーストリアにおけるペーター・シュナイダーような存在として崇められている。カーテンコールでの彼へのたくさんの賛辞(拍手やブラボー)がそれを物語っていた。