2010年11月3日 マウリツィオ・ポリーニ ピアノリサイタル サントリーホール
バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻
ポリーニの演奏の素晴らしいところは、そこに「ポリーニの世界」が広がることだ。何を演奏するにしても、どんなプログラムでも、そこにポリーニならではの孤高の哲学が繰り広げられる。言い換えれば、ポリーニの演奏から聞こえてくるのは、ベートーヴェンでもショパンでもアルバン・ベルクでもなく、「ポリーニ」である。そして、そのポリーニの哲学と信条は、年月が経過しても色褪せることなく、確固たるものとして永遠に輝き続ける。これこそ、デビューしてから30年以上もの間、今も昔もずっと世界最高のピアニストとして讃えられる理由である。
だが、実はこの特色は、強みがあると同時に弱点も併せ持つ。あまりにも説得性がブレず、揺るがないが故に、一度でも体験して「なるほど、ポリーニのショパンとはこういうものなのか」と判ってしまうと、それで完結してしまうのだ。完璧であるがゆえ、変容の余地があまり残されていないのである。
私もかつて、世界最高ピアニストを追って来日のたびにコンサート会場に出向いた時期があった。もちろんその凄さ、奥深さには毎度驚嘆した。だが、前回聴いたベートーヴェン(あるいはショパンでも)を、またその次に聴くと、だんだんと戸惑いが生じる。「あのう・・恐縮ですが、それは前回にも教えてもらったんですけど・・・。」
「今回はバッハだから行った」というのは、ポリーニの来日公演で初のバッハだったから。彼の新たな境地を伺えるかもしれないからと思ったからである。
テクニック、響き、演奏スタイルは、やっぱりポリーニの確固たるそのもので、特段バッハだからといって、異なる奏法やアプローチを試みているわけではない。
言っちゃなんだが、演奏者本人もストイックできつく、聴いている側も果てしない道のりに付き合わなければならず、とにかく疲れた。