クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

メタモルフォーゼン

《エピソード1》
 この曲に開眼したのは、もう遙か昔の大学生の時。当時まだレコードだったと記憶するが、カラヤン指揮ベルリンフィルによる超ゴージャスな演奏に魅せられた。
 ちょうどその頃、大学オーケストラ部に所属しヴァイオリンパートを担っていたのだが、そのオーケストラ内では有志により弦楽アンサンブル団体が立ち上がっていて、細々とした活動を行っていた。
 
 確か大学3年の時だったと思う。その弦楽アンサンブルで、次は何の曲をやろうか、という選曲会があった。私は意を決し、自信と確信を持って提案した。
「R・シュトラウスメタモルフォーゼンをやりましょう!!」
 
 その時のしらけた空間と澱んだ時間は今でも忘れられない。
 「なにその曲?」「知らねえよ。」「もっとメジャーな曲がいいよ。」

 あかん、こりゃだめだ。この曲の素晴らしさを解ってもらうためには、とにかく聴かせるしかない。私はカラヤン指揮ベルリンフィルの超ゴージャスな演奏を聴かせた。うっりゃあ!どうだぁ!参ったかぁ!
 再び空気が澱む。
「長い」「暗い」「難しそう」「弾けない」・・・・こうして私の提案はあっけなく却下された。ぐぐっぐぐ・・。
 
 この弦楽アンサンブルに限らず、おおもとの管弦楽部でも、選曲委員会でちょっとでも難しい大曲が提案されると、すぐに「難しい」「出来ない」という否定意見が飛び出すことに私はいつも苛立っていた。私はマーラー1番巨人とか、ニールセン交響曲4番不滅とか、ショスタコーヴィチ5番革命とか、やりたくてしようがなかったが、その度に「難しい」「出来ない」と却下された。
 
 情けない・・・。
 プロならば当然結果、出来が問われる。だが我々はアマチュアだ。やりたい曲をやって自己満足できればそれでいいのだ。たとえ難しくても、「出来ない」と逃げるのではなくて、チャレンジしさえすればいい。結果なんか誰からも問われない。「やった者勝ち」なのだ。
 という私の意見は少数だった。メタモルフォーゼン、本当にやりたかった・・・。
 
 
《エピソード2》
 話はその翌年、大学4年生の時。この年、サントリーホールこけら落としとなり、オープニング記念と題して様々な公演が企画開催された。その中でも、超が付く目玉事業として、カラヤン指揮ベルリンフィル来日公演がラインナップされていた。
 カラヤンサントリーホールの施工に積極的に関与し、アドバイスを送ったらしい。その世界一級のコンサート専用ホールの開幕記念に、貢献したカラヤンとその手兵ベルリンフィルが満を持してやってくる・・・これは大事件だった。
 そしてその記念すべき公演で予定されたプログラムの一つが、「メタモルフォーゼン」と「英雄の生涯」という、私にとってひっくり返るくらいの演目だった。
 
  ところが・・・。さすがはカラヤンベルリンフィル、敷居が高い。
 確か来日公演プログラムは二つあったと思うが、このシュトラウスプログラムの公演に限り、「正装コンサート」と銘打ち、パーティー付きでS席7万5千円、A席5万円、という目ん玉が飛び出る価格設定だった。
 大学生の私にとって、普通なら全く太刀打ちできない、天文学的な値段。これには頭を抱えた。
 だが、私は「負けてたまるか!!」とエベレストの頂に臨む。大好きな曲、そして好きになったきっかけのカラヤンベルリンフィル。私は死ぬ気でバイトに励み、ついについに公演に行く権利を手にした。プラチナチケットを手に入れた時は感慨無量で、私はチケットと一緒に寝たくらいだ。(マジだよ)
 
 ところが・・・。
  カラヤンは体調不良のため、来日不能となった。がーん。
 ショックはこれだけではない。代役として指名されたのが我らが小澤征爾だったのはまあいいとして、これに伴いプログラムが変更になってしまったのである。
 メタモルフォーゼンシューベルトの未完成に変更・・・がーん。
 
 そんな中で、ホッとしたことが一つ。パーティーが中止となり、価格設定が見直されて差額が返還されたのだ。何だかんだ言っても、メタモルフォーゼンが取り消されたショックより、こっちの方がうれしかったりして・・・へへへ。